<巻頭メッセージ>
「神を信じて与えられた『自信』」 
 長澤 聖志 Satoshi Nagasawa
 九州教区長・博多ニューライフ教会(福岡県)

<INDEX>

  • 特集 主に仕える(8) 
     北の大地で主に仕えて
    吉田 敦 帯広キリスト伝道所(北海道)
  • 新・信徒教育プログラム その名も…
    AG バイブルアカデミー・ジャパン
    野口 一郎 信徒教育プロジェクトチーム 大津キリスト教会(滋賀県)
  • 私の聖書 第7回 聖書と私
    横山 聖子 信愛キリスト教会(福島県)
  • 召天 本間 繁子   弱さのうちに完全に現れる主の力
     伊藤 博 泉福音キリスト教会(宮城県)
  • 紹介 青少年伝道部
    布施 宣義 青少年伝道部長 山形神召キリスト教会(山形県)
  • 教団の動き⑫
  • 中央聖書神学校(CBC)掲示板

 


 

「神を信じて与えられた『自信』」 
 
長澤聖志 Satoshi Nagasawa
 九州教区長・博多ニューライフ教会(福岡県)

 昔、大学生伝道でバイブルクラスをしているときに参加者の方に「先生は自信があっていいですね」と言われたことがあります。その言葉には自信をもっている人をうらやむ響きがありました。「自分の価値、能力を信じること」、辞書には「自信」がそのように説明されていました。もし、自分の価値や能力を信じることができたら、目の前の課題に果敢(かかん)に取り組むことができると思います。

 また、自分の人生をコントロールできる自信があれば、たとえ挫折(ざせつ)してもやり直しができるという安心感の中で、失敗を恐れずに取り組むことができることでしょう。

 そして、人に愛される自信があれば、どのようなことがあっても人々の助けをいただけるから大丈夫だと思いながら歩むことができると思います。自信は私たちが生きる上で大きな助けとなるため、人は自信を求めるのではないでしょうか。

 私は「先生は自信があっていいですね」と言われたとき不思議に思いました。なぜなら、私は自分に自信がなかったからです。しかし、今思えば、私は自分に自信がありませんでしたが、自分のうちにおられる神様を信じていたことに気づきます。それゆえ先ほどの方から見れば、私が自信にあふれているように見えたのだと思います。これは神様を信じる者に与えられている恵みではないでしょうか。

 私たちのうちにおられる神様は、人にはできないこともできるお方です。また羊飼いのように私たちの人生を導き、必要なものを備え、人生の全てに責任をもってくださるお方です。そして、ご自身の命を捨てる程に私たちを愛してくださっているお方なのです。それゆえ使徒パウロが告白したように、私たちも次のように告白することができるのです。

 「もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2:20)、「ですから私は、キリストのゆえに、弱さ、侮辱、苦悩、迫害、困難を喜んでいます。というのは、私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(Ⅱコリント12:10)。

 自分を信じる自信ではなく、自分のうちにおられる神様を信じることによって与えられる「自信」により、歩ませていただこうではありませんか。

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