私の生涯の回想記(坂本キミ)

第2次大戦前から八王子を中心に、甲府および蒲田などで、熱心に伝道をなされた「生粋のペンテコステの偉大な伝道者」(弓山喜代馬師談)です。AG誌(1977年〜1980年)に連載された自筆の回想記を通して、共に泣き笑いしつつ、時代が変わっても古くならないものを見つめられれば感謝です。

私の生涯の回想記(坂本キミ)
坂本キミ「私の生涯の回想記」(番外篇・召天記事)

 去る六月二十五日、聖日の夕刻、八王子山王病院に入院中の坂本キミ師は、癌性胸膜炎(肺ガン)のため召天された。八十六年と五ヶ月の御生涯であった。
 同月二十七日、同師の葬儀、告別式が八王子キリスト教会にて、教団伊藤理事長、石原総務局長、佐藤教区長ら列席のもと、上原和雄牧師の司式で行われた。参列者は百十名で、教団の大先輩の葬儀にふさわしく、聖臨在に溢れたものであった。

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私の生涯の回想記(坂本キミ)
坂本キミ「私の生涯の回想記」(第21回)

昭和十八年、世相は増々厳しくなって来ました。毎日追いつめられている思いです。
男達には、あの人にもこの人にも赤紙が来ています。表面は、「おめでとう」「男冥利に尽きる」とか、「祖国の鬼となって国を守ります」とか言っているのです。旗をふって町内の人達に送られて、「勝って来るぞと勇ましく」などと歌いながら行くのです。後の家族のみじめさを考えて下さい。親が、妻が、子供が、そのみじめさは想像にあまりあるものです。外に向つての笑顔も遠慮する有様です。人びとの心のイラダチは目に見えるようです。

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私の生涯の回想記(坂本キミ)
坂本キミ「私の生涯の回想記」(第20回)

八月の終り頃に退院をして、先生が御自分の持っている軽井沢の家に帰って来ました。九月になると、私は八王子に土曜と日曜日帰って来るのです。日曜日のSSと礼拝のためです。信者達もよく教会を守って下さいました。月曜日には軽井沢に行くのです。メイドさんがおりますが、私の帰るのを先生は待っているご様子でした。当時は九月ともなると賑やかだった商店街はみな引上げて、店は張つけとなり、外路灯は消されて全くの暗黒の町でした。

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坂本キミ「私の生涯の回想記」(第19回)

八王子は、またまた路傍伝道から、しかし、この頃世間は戦争が始まるかも知れないという噂がもっぱらでした。町には隣組が作られ、何でもが隣組単位になって来ました。ウェングラー先生と私は、この頃、中央線に在る町から村へと伝道を始めました。週に一回先生は、三鷹から汽車でおいでになり、八王子駅のホームで出合い、相模湖町を中心に村々町々に出かけます

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坂本キミ「私の生涯の回想記」(第18回)

神様は蒲田教会のために赤津老人を導いて下さいました。この老人は悟りを得るために八年間お寺にて修行をしていた人でしたが何の得る所もなく苦しんでいた時に、蒲田の路傍伝道から導かれて救いを握ったのです。年七十二才でした。

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坂本キミ「私の生涯の回想記」(第17回)

甲府を離れた私は、ウェングラー先生の御都合で、一時東京の蒲田で伝道する事になりました。当時両親が川崎に住んでおりましたので、川崎から蒲田に家さがしに歩いたのでした。昭和十年。その頃の蒲田は旧蒲田より新たな町づくりを広げつつある時代で、駅前などは畑だったと思われる所に、店作りの家がボツボツと新築しつつある頃でした。

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坂本キミ「私の生涯の回想記」(第16回)

 ある祈祷会の夜、それは恵まれた集会でした。聖霊はひとりひとりをとらえて下さったのです。誰も隣にいる人など全く忘れて、神のみまえに祈っているのです。それは神に相対して熱心に談じ合っているかのごとく、訴えているかのように、聖霊によって祈っているのです。いな、祈らされているのです。泣きながら祈る者、両手を上げて感謝している人、臨在の濃厚なこの部屋では、天国もかくあるかの思いが一同にあふれているのです。

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坂本キミ「私の生涯の回想記」(第15回)

「イエス言い給(たも)う、人のなし得ぬ所は、神のなし得る所なり」(文語聖書 ルカ18・27) このみ言葉は、何と神の御力をはっきりと教えている事でしょう。当時甲府教会も少々集会らしく整ってきましたので、私たちは甲府市の北を囲んでいる山の中腹の村に、教会学校を始めました。

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坂本キミ「私の生涯の回想記」(第14回)

甲府山の手一帯の氏神と言われたお宮の神主である彼は、キリスト教が自分の区域に会堂を建てられて布教されては、お宮のお札が売れなくなるから、キリスト教がこの土地に定着しないうちに追い出すつもりだった、といやがらせをした理由を告白したのです。

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私の生涯の回想記(坂本キミ)
坂本キミ「私の生涯の回想記」(第13回)

甲府キリスト教会としての第一歩を踏み出す際の緊張はひとしおでした。路傍での神主の妨害で集った人々はしばらく戸惑った様子でしたが、教会内では老婦人が三人すでに座についておりました。私と富永さんが更に必死になって賛美を歌うのです。タンバリンを叩きながら…。

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私の生涯の回想記(坂本キミ)
坂本キミ「私の生涯の回想記」(第12回)

甲府に落つき、近所の方々にも馴(な)れて来て、神が甲府の魂のために私をお遣しになった事を思うと勇気百倍。ロマ八章二八節に「神は神を愛する者たち、すなわち御計画に従って召された者たちと共に働いて万事を益となるようにして下さることをわたしたちは知っている」。このみことばが心に一杯に、溢(あふ)れてくる喜びと一緒に確信が胸を打つ思い。

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坂本キミ「私の生涯の回想記」(第11回)

さてウェングラー先生は、ある日「今度新しく来日された宣教師が八王子にお客様で来られる」と言われました。当日が来てウェングラー先生らしく用意怠りなく備えておられたのに、その日はおいでになりませんでした。先生と私はがっかりして御馳走(ごちそう)にも手をつける気になれない程でした。

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