<巻頭メッセージ>
『敬老の日に寄せて』
大塚 学 Manabu Otsuka
大阪中央福音教会(大阪府)
<INDEX>
- 特集 敬老の日特集
歳を重ねる喜び
野川悦子 港南シオンキリスト教会(神奈川県)
- 聖書と映画
映画:【炎のランナー】
「喜びにあふれゴールを目指せ」
菊山和夫 鎌倉大船キリスト教会(神奈川県)
- 価値観 第4回 世の中 vs 神の国
「若者の燃えない意識」
神山美由記 嘉手納アッセンブリー教会(沖縄県)
https://fellowship.j-ag.org/category/good-reading-season2/for-youth/yale-to-you/
- 祝・献堂 全てを満たして下さった主
長澤聖志 博多ニューライフ教会(福岡県) - 深まり広がるペンテコステの恵み⓲
「主がそばにおられる」希望キリスト教会員 - お願い⑦ 募金委員会より2つのお願い
- 召天 わが霊の父ロバート・ハイムス師
下道定身 札幌神召キリスト教会(北海道)
- 教団の動き⑧ 天野 弘昌 総務局長
- 中央聖書神学校(CBC)掲示板
『敬老の日に寄せて』
大塚 学 Manabu Otsuka
大阪中央福音教会(大阪府)
私達の教会では、九月の第二日曜日の礼拝を「敬老の祝福礼拝」と定め、70歳以上の五十数名近い愛兄姉(あいけいし)のお祝いをしております。教会に高齢者の方々がたくさんおられることは、教会の誇りであり、大きな慰めです。本当に、命ながらえて、お健やかでお過ごしいただきたいと心から願っております。
聖書の中で、「高齢者」に触れている箇所は、「万軍の主は、こう仰(おお)せられる、『エルサレムの街路には再び老いた男、老いた女が座するようになる。みな年寄の人々で、おのおのつえを手に持つ。」(ゼカリヤ8・4、口語訳)です。ゼカリヤという預言者は、紀元前539年に、ペルシャ王クロスによってイスラエルの人々がバビロニアから解放されて、エルサレムに帰還した時代の預言者でありました。
エルサレムに帰ったものの、エルサレムの町も神殿も荒廃し、再起不能のような状態でありました。そうした中で預言者ゼカリヤは、「エルサレムの街路には再び老いた男、老いた女が座するようになる。」と預言したのであります。普通、考えれば国や町の復興には、もっと若々しい若者や指導力のある王が登場することを預言するべきだったと思いますが、ゼカリヤは、手に杖(つえ)を持つ「老人」や「老女」達が道端に座り込んでいる風景を預言しました。ゼカリヤは、青年達や元気な人々、軍人や王達の姿の中に再建の希望を見たのではなく、むしろ、道端に座り込み、その日一日を、無為(むい)に過ごしているように見える「老人や老女たち」の中に、再建される新しいエルサレムの姿を見ていたのです。
世間一般では、世界が大きく成長していくためには、「高齢者達」は余り必要とはされていません。しかし、ゼカリヤは世間に用のない人々こそが、新しいエルサレムの中心に置かれるべきであると預言しているのです。少しずつ、老いていく中で、衰えていくところもあるでしょう。しかし、それをそのまま受け入れていくことが大切なのです。
私達の社会は、ますます高齢化し、色々な意味で高齢の方々は、交わりの場から疎外(そがい)され、取り残されていくような時代になってきました。しかし、「老人」や、弱い人々こそ、この社会の中心に据(す)えられるべきではないでしょうか。なぜなら、そのような人々が、ゼカリヤが預言したように、この社会を新しく創(つく)り変えていく可能性や、希望を見ることができるからであります。