<巻頭メッセージ>
「悲しみから喜びの日々へ」復活とは何か?
濵崎 恵太 Keita Hamasaki
門真キリスト教会(大阪府)
<INDEX>
- 信徒の体験談 よみがえられた勝利者は真実な方
嘉手納アッセンブリー教会員(沖縄県)
- Happy Easter
「復活と宣教」御霊の力によっての国々へ
矢吹 拠子 川崎中央福音教会
- 祈祷推進委員会より
祈りの50日間のご案内 同刻祈祷 4/9 ⇒ 5/28
増田 篤子 祈祷祷推進委員長 シティビジョン・グローリーチャーチ(神奈川県)
- 祝・CAの日 東海教区
西宮 美樹
- AG誌からアンケートのお願い
- レポート CBC卒業式
白石 秀枝 中央聖書神学校 臨時講師 品川ベテル教会(東京)
- 中央聖書神学校(CBC)掲示板
- 教団の動き⑬
- 召天 桑原千春先生の思い出
片平 ともみ 都島中央キリスト教会(大阪府)
「悲しみから喜びの日々へ」復活とは何か?
濵崎 恵太 Keita Hamasaki
門真キリスト教会(大阪府)
イースターは、多くの人たちにとって明るい印象を与える喜びの日と言えるのではないでしょうか。最近では、スーパーなどでもイースターの装飾が施されていますが、どれを見ても明るい色合いのものが多く使われています。
しかし、聖書の御み言こと葉ばに書かれているイースターの出来事を読む時に、喜びの日とは程遠い状況なのです。なぜなら、人々は、深い悲しみの中におかれていたからです。どうして、そのような悲しみの日が喜びの日となっていったのでしょうか。そこには、主イエス・キリストの十字架と復活があります。
主イエスは、十字架にかけられました。それは、私たちの罪のためであったのです。全ての人が例外なく罪人であり、無邪気な子どもであったとしても同じです。また、この罪だけは、私たちがどんなに努力をしたとしても解決に至ることはありません。そんな私たちのために、 主イエスは、自ら進んで十字架にかかられ、命を捨ててくださいました。
私たちの常識で考えるならば、ここで話は終わります。けれども、聖書の御言葉は、ここから先も続いていくのです。
主イエスは、十字架にかかられた後、三日目に復活されました。多くの人たちが、主イエスの死を悼(いた)み、もはや、自分自身の力では立ち直ることができない状況でした。そんな時、主イエスは、一人ひとりの前に姿を現され、語られたのです。人々は、復活された主イエスと出会った時、悲しみから喜びへと変わっていきました。また、この喜びは、決して一時的なものではありません。そこから復活の主と共にある新しい歩みが始まっていくのです。
イースターの出来事は、私たちにとって変わらない喜びを見つけることができる大切な時です。
主イエス・キリストは、今も生きておられ、私たちの内に働いてくださいます。私たちが今抱かかえている悲しみも喜びへと変えてくださるのです。あなたもこの復活の主にある喜びを体験しませんか。
「あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。」(ルカ24・6 新共同訳)