《福音》恵みのおとずれ 2000年4月号

お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。

            工ぺソ人への手紙4章32節


人をゆるすことはむずかしいことです。ゆるすということは本当に勇気のいることです。人をゆるすことができず、何日もいやな気分が続いていても、その人をゆるした時、心の中でひっかかっていたものがふっきれてスッキリしたというような経験をしたことがあるのではないでしょうか? ゆるさない心の中には苦しさと荒々しさが生じ、決して喜びと安らぎを得ることはできないのです。人を気持ちよくゆるしていく時、自分の心の中から悪い感情が取り去られ、気持ちよく心安らかになるのです。

 この「ゆるす」という行為は、神さまが私たちに対してしてくださった行為です。神様は御子イエス・キリストを十字架につけ、私たちの罪をゆるしてくださいました。つまり、クリスチャンとは罪がゆるされた者なのです。

 私たちが、他人にかけられる迷感など、自分が神様を信じるまでに犯したあやまちに比べるならなんと小さく、ささいなことでしょう。私たちはゆるされているから、私たちもゆるすべきなのです。

 人がゆるさないから、自分もゆるさないという態度は正しいものではないし、そういう態度が問題の解決につながることはありません。まず、あなたがゆるすことによって、喜びと安らぎを得てください。そうするならば、あなたのまわりの人々の間にも喜びと安らぎが広がっていきます。

私たちがあなたがたを愛しているように、あなたがたの互いの間の愛を、
またすべての人に対する愛を増させ、満ちあふれさせてくださいますように。

テサ口二ケ人への手紙第一3章12節