《福音》恵みのおとずれ 1997年2月号
わが家には犬が二匹いる。一匹は飼いはじめてからもう九年になる。上の息子が大学受験をする年の冬のことだった。高校の近くにある弁当屋の前でウロウロしている子犬に出合った。自分の自転車の後をついてくるので家までついて来たら飼ってやろうと思ったそうだ。スピードをあげて、自転車を走らせたが、子犬は足をひきずりながら必死に走り、とうとう家までたどりついた。
そんな息子の話を聞いているうちに子犬の健気さに胸が熱くなり、この犬を飼うことになった。名前はポチダサンとつけた。もちろん、雑種だ。気が強くて臆病と言う屈折した性格だ。どうも、学生たちにいじめられたらしく人間に強い不信感と敵意をもっている。だから、すぐに先制パンチで噛みつく悪い癖(くせ)がある。夏期派遣や冬期派遣で来てくれた神学生の二人もイキナリ、ガブリとやられている。とても人様に自慢できる犬ではない。
もう一匹はベタニヤ館の庭につないである犬だ。こちらは、ある雨風の強い夕方、玄関先に捨てられてクンクン悲しい鳴き声を立てていた。近所の子供たちが飼っていたのだが手にあまして、教会ならと考えて置いていったらしい。一晩だけと家に入れたのが運の尽きで結局は飼う破目(はめ)となった。チビポッチャンと呼んでいる。何んだか落ち着かない犬で、散歩中もセカセカと片足をあげ小用を足しながらポロポロと糞をしたりする。人様が見ている時など赤面する。
こんな訳で二匹とも折紙つきの駄犬だが、この二匹から教えられることがひとつある。散歩中に、ハスキーとかゴールデンリトリバーとか血統書付きの立派な犬に出会っても、我家の二匹は卑屈にもならす、尻尾も下げず、嬉々としているありのまま自由である。僕もどんな人の前でもひがまず、高ぶらず、背伸びせず、ありのままの自分でありたいと思う。
苫小牧・山手町神召教会牧師(現・山手町教会)
大坂克典(召天)