《福音》恵みのおとずれ 1997年 2月号

 厳しい冬の寒さをじーっとこらえてきた森の木々は、やがて訪れる芽吹きの季節を待ち望んでいます。もう、あとひと頑張りです。この季節は受験生にとっても最後の追い込み、心がビーンと張りつめる時期でもあるでしょう。しかし、人生を見つめ直してみると受験生に限らず、どんな人の人生にも結果の見えない大きな壁が立ちはだかり、恐れや不安で心の糸が張りつめ、時には切れかかる時がしばしばあるものです。しかし、天地を創られ人間を限りなく愛しておられる神は、そんな私たちにいのちにあふれた聖書のおことばを通して、慰めと励ましのエール(声援)を送っておられます。

 聖書の中に次のようなことばがあります。「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい」(マタイ22・21)。このおことばは、イエス様を罪に陥れ、十字架につけようとする者たちが、悪賢い難題によってイエス様を追いつめようとした時に、イエス様がお答えになった知恵のことばです。このおことばの中に、いかなる状況の中にも、しっかりと揺るぎなく立ち続けることのできる知恵があります。イエス様は「神のものは神に返しなさい」と言われました。落ち着いてよく考えてみると、私たちの持っているもので神からでないものが果たしてどのくらいあるでしょうか。私という存在も、今日まで生きてこれたのも、良き家族も、良き友も、良き職場も、知識も、富も、才能もすべては神から与えられたものではないでしょうか。

 イエス様は、世界もいのちもすべては神のものである現実をしっかりと見つめ直すことを私たちに教えておられるのです。あなたはいかがでしょうか。神から良きものを与えられていながら、それを当たり前に思い、神の恵みを知ろうとせず、自分の幸せだけを追い求めてはいないでしょうか。神は存在しないかのように生き、自分の力で何でもできるという思いはないでしょうか。そこに危機において絶えず揺れ動く心があるのです。イエス様は十字架という危機のただ中にあっても不動のお方でした。このイエス様によってあなたも不動の人生を歩めるのです。主キリストをあなたの人生の主としてお迎えしましょう。

文・萩原 清