<巻頭メッセージ>
「聴いて、恵まれ、そして…」
新井晴美 Harumi Arai
竹原開拓 (竹原ベテルキリスト教会)(広島県)
<INDEX>
- 特集…敬老の日特集 老いは自然の贈り物
柿谷孝子 須崎福音キリスト教会(高知県)
- 私の聖書⑧ 衝撃の本、聖書
福森光敏 神居キリスト教会(北海道) - 聖書のそこが知りたい ❷ 【蛇が人間と話した?】
仁井田義政 溝の口キリスト教会(神奈川県)
- 教団創立75周年に向けて 教区の取り組み
- 召天 聖書を生きる人 渡邊房子師を偲んで
小田島幹彦 大宮キリスト教会(埼玉県)
- 教団の動き⑱ 総務局長 天野弘昌
- 中央聖書神学校(CBC)掲示板
「聴いて、恵まれ、そして…」
新井晴美 Harumi Arai
竹原開拓 (竹原ベテルキリスト教会)(広島県)
「兄弟たち。私はあなたがたに、御霊に属する人に対するようには語ることができずに、肉に属する人、キリストにある幼子に対するように語りました」(Ⅰコリント3・1)。
将棋の全タイトルを手中にするのではないかと、怒涛(どとう)の勢いで勝ち進んでいる青年棋士の活躍によって、将棋界が燃えています。将棋の面白さは、駒の特徴ある動きから生まれるようです。「歩(ふ)」と呼ばれる駒は、一歩ずつ直進することしかできない地味な駒ですが、相手陣地に入ると裏返って「と金(きん)」という「玉(ぎょく)」の隣りに座す「金」と同じ力を持つ駒に成れるのです。
第一コリントの3章前半に「肉に属する人」と裏表の関係にある「御霊に属する人」という言葉が登場します。パウロの言葉で、御霊を受けている人のことです。この箇所で、パウロはコリントの人々に向かって、あなたがたは「御霊に属する人」なのに、ねたみや争いに陥(おちい)っているようでは、未だに「肉に属する人」で、乳を飲む幼子の域を脱(だ)っしていないではないかと諫(いさ)めています。つまり、「歩」が「と金」に成ったのに、その立ち居振る舞いは、元の「歩」のままではないかというのです。
「実は、今でもまだ無理なのです」(Ⅰコリント3・2)というパウロの言葉が心に刺さります。そうです。これは他人事ではありません。人の心を傷付ける言動が一向に改まりません。聖霊を悲しませ続けています。
なぜ、御霊に属する人に留まり続けられないのでしょうか。コリントの人々はパウロの語る御言葉を聴いたのです。乳を飲んだのです。でも消化できなかった。聴いたことを自分のこととして、取り組むことをしなかったからなのでしょうね。
聴いた、恵まれた、それで終わりにしていることが実に多いことに気付きます。御霊に属する人であり続けるには、聖書の御言葉を何としても自分のものにしようとする姿勢が大切なのですね。
成り得ましょうか? 大丈夫、成ります。パウロも私たちを肉に属する人と言いながらキリストにある幼子と呼んで、あなたがたはまだキリストの内にいるよと、さりげなく励ましているではないですか。
言い忘れました。「歩」は一旦「と金」に成ると最後まで「と金」のままなのです。