《福音》恵みのおとずれ 1999年 8月号

「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。」
マタイ5・9
これはイエス・キリストの有名な「山上の説教」の中の言葉です。
今月は「平和をつくる」ということについてご一緒に考えてみたいと思います。
平和、それは人類共通、人類最大の願いです。私たち一人一人が、世界とまではいかなくとも、家庭で、身近な人間関係の中で、平和をつくり出す者となれたら、どんなにすばらしいでしょうか。

ところが、そうなりたいと思っていても、なかなかそのとおりにはできないのが現実です。平和をつくり出すどころか、かえって日々「争い」をつくり出しているのが私たち人間の姿かもしれません。
あの人のあの一言がゆるせない、あの態度がゆるせない……。傷つけられたその傷が大きければ大きいほど、憎しみも深いものになるでしょう。当事者となればなおさらです。「私がこんなに傷ついたのは、あの人のせいだ。絶対にゆるさない。」お互いのそんな気持ちが高じると事態はエスカレートするばかりです。

憎しみといさかいのあるところに、愛とゆるしをもたらし、平和をつくり出す者となるのは何と難しいことでしょうか。人間にはできないことのように思えます。しかし、ただ一人、平和をつくる者として歩まれた方がいます。それがイエス・キリストです。
イエス・キリストは、神の国を宣べ伝え、いやしと奇蹟によってそれをあかしし、人々に慰めと希望をお与えになりました。しかし、それが人々のねたみを買うところとなり、何一つ罪を犯されなかったのに、捕らえられ、十字架につけられてしまうことになったのです。
ルカの福音書には、今まさに十字架につけられたときの、イエス・キリストのことばが記されています。自分を十字架につけ、死に追いやろうとしていた人々を前にキリストはこう言われました。
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」
ルカ23・34
ある人がこの箇所を読んで大変感動され、その感動を涙ながらに私に語ってくださったことがあります。敵をも愛し、彼らのために祈るイエス・キリストの大きな愛にふれ、その方の心の中に、今までの自分にはなかった『何か』が生まれたようです。
私たちは自分自身の力で平和をつくり出すことはできません。しかし、平和をつくり出すことがお出来になる方(イエス・キリスト)を心の中にお迎えするときに、この方から力をいただいて、平和をつくり出す、最初の一歩を踏み出すことができるようになるのです。
文・佐野 兼司



