《福音》恵みのおとずれ 1996年 9月号

 私の姑は今年100才を越えた。若い頃は何でもよく覚えている人だった為か、現在の自分に耐えられないらしく「どうしてこんなに忘れっぽくなったの」と嘆く。眼はかすみ、歩くこともできなくなった日々、「老いる」ということはこれほどまでに苛酷なことかと思わされる。しかし又、この道は私も同じように通る道なのである。“老い”は人生の一部なのだ。

 最近の事、姑の友人が訪ねて来て、枕許で聖書を開いてイエス・キリストの言葉を読んで下さった。


 そして、その人は姑に言った。「おばあちゃん、このサマリヤ人はイエス様のことだよね、イエス様は今ここにいて介抱していて下さるよ。」姑はその言葉をよく理解し、うなずき、その眼からは涙があふれた。健康も美しさも、たくましかった力もはぎ取られ、孤独へと追いやられる“老い”の中で、神の恵みへの感謝が息を吹きかえした。

文・堀川 英子