《福音》恵みのおとずれ 1989年 10月号

 “しあわせってなんだっけ、なんだっけ、ポン酢しょう油のあるウチさ……”。
 ひと時流行したコマーシャルソングです。ポン酢しょう油でしあわせになれるなら、こんな楽なことはないでしょう。最もギャグソングをそのまま信じてしまう心配もないとは思いますが、ただ、幸福を願うのは万人共通のことであることは確かです。

 幸福とは?
 「みちたりた状況にあって、しあわせだと感じること」と国語辞典に説明されています。簡単な説明ですが、よくよく考えてみますと、みちたりた状況、しあわせだと感じること、が大変むずかしいのではないでしょうか?マージャン、パチンコ、スポーツ等、人それぞれによって、幸福感、満足度も異なることでしょう。


 “山のあなたの空遠く、さいわい住むと人の言う……”と言った詩人の言葉を思い出します。きっと詩人の心の中に、人生の空虚さを感じていたのではないでしょうか。
 そこで考えられることは人生の幸福は外側の魅力よりも、内側の魅力にあるといえます。
 人生に空虚さを感じた詩人も外側からの幸福ではなくて、人間の内面に問題があることを指摘したわけです。
 ある文芸批評家が語っていますが、人間の成長段階で大切にしなければならないのは人が自分の内面を見ようとするときだと言っています。

 道路のわきに捨てられた1億円を手にした人間が本当の幸福を手にしたのでしょうか、竹やぶから出てきた3億円で真の人生を送ることができるか、これは疑問です。
 世界の資産家といわれる人々の人生を追求した結果をみると70パーセントから80パーセントの人々が資産のゆえに孤独となり、強度の節約家となって良い人間関係を失なっています。彼らが自分の姿のあまりにもあさましい状態に気づいた時にはすでに時遅しの感で、老境に入りあるいは病弱となり、ついには自らの命を絶つ末路であったことを物語っています。
 ですから、人間の幸福について万人が求める道は内面の豊かさであり、良い人間関係の中で生きることにあります。そういう意味では聖書の幸福観は最もすぐれているといえるのではないでしょうか。

文・平松 慶次