《福音》恵みのおとずれ 1986年 11月号

私たちの住んでいる日本では、「多数決」によって何でも物事が決まります。小学校の学級会から国会まで、話し合いの最後は必ず多数決です。
多数決とは、グループの中で最も賛同者の多い意見をそのグループの結論として決定する方法で、どんな小さな集団でもこの原理が絶対的な力を持っています。

従って、賛同者の過半数が確定している場合、発言や審議などと言うものは単なる飾りに過ぎません。話す前からすでに結果が分かっているのですから。そこで、いわゆる「根まわし」なるものが重要になってくるのです。
しかしみなさん。多数決で決めた事はすべて正しいことなのでしょうか。みんながやるのだから間違っていない、と言えるでしょうか。

答えは「ノー」です。
なぜなら、多数決の原理によれば、問違った意見が態勢を占めた場合でも、その結論が正しいものとなり、決して逆らうことのできない鎖としてグループ全員を縛ることがあります。
そして、多数決感覚が長じて「みんながやっているから」という言葉が、どんな悪事をも善事に変えてしまう社会を作り上げてしまうこともあります。
また逆にみんなと違うこと、集団から外れることを恐れて、どんな残虐なことでも平気でやってしまう姿が人間の中にあります。
集団の中に入れば安全だ、みんなと同じようにしていけばなんとかなるんだ、と考えているあなたにイエス・キリストはこのように言われます。
「狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門は狭く、それを見いだす者はまれです」(聖書)
永遠の命を得、変わることのない喜びと平安を味わうために今あなたに必要なのは、長い物に巻かれない意志と、教会の狭い門をたたく勇気なのです。
文・堀川 寛


