《福音》恵みのおとずれ 1994年 10月号

 10月10日は「目の愛護デー」。

 なるほど、10・10を横にたおしてならべてみると、左右のまゆと目の形になります。こじつけとはいえ、うまく考えたものです。

 秋来ぬと目にはさやかに見えねども
 風の音にぞおどろかれぬる

 目には見えなくても、なにかのきっかけでハッと真実なものに気づくことってありますよね。この「古今集」におさめられた歌の作者藤原敏行などは、秋に気づいてそれにおどろく「自分」におどろいているのかもしれません。

 あきかぜの中のきりんを見て立てば
 ああ我という暗きかたまり

 これは高野公彦による現代の歌です。さわやかな秋風の中に首をたてているきりん。それを見た青年は自分の暗さをいやというほど見せつけられています。この歌で、私は「素朴な琴」と題するつぎのような詩を思い出しました。

 この明るさのなかへ
 ひとつの素朴な琴をおけば
 秋の美しさに耐えかねて
 琴は静かに鳴りいだすだろう

 これはクリスチャン詩人八木重吉の作品です。彼はキリストとの出会いによって、神の造られた自然の明るさ、美しさに目が開かれました。その光にさそわれて琴のように鳴りひびいた彼の多くの詩は、くもりがちな私の目を洗ってくれます。

 「目からうろこが落ちる」といいますが、実はこれ、新約聖書・使徒行伝9章18節の言葉なんです。復活のキリストに出会って、パウロは新しい人に変えられました。キリストを誤解していた頃と違って、目からうろこが落ちるように、人生の真実がはっきり見えるようになったのです。

文・菊山和夫

 ところで今がシュンのマツタケ。目の玉がとびでるほどの値段、なんとかなりませんかね。

文・渋沢清子