《福音》恵みのおとずれ 1993年 3月号

長い冬が過ぎ、暖かい春の季節となりました。また春は草木が芽を吹く生命の躍動を、感じる季節でもあります。聖書には
「主は季節のために月を造られました。太陽はその沈むところを知っています。」
と記されています。神は天と地を創造し、さらに季節もつくられ、私たちを愛しておられます。

ふとんを干したり、洗濯物を乾かしたりすることができるのも、神様の大きな恵みでありますが、人はそれが当然であるように思い、感謝することをしませんし、神様を認めようとはしません。聖書には
「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。」(ローマ1章20節)
と記されています。神はそのひとり子、イエスをこの世に遣わし、人間の身代りとして十字架につけ、愛を示して下さったのです。
あなたは人間関係で傷ついたり、悩んだりしていませんか、仲の良い時もあれば、反対に憎んだりする時もあります。相手に悪口を言われ、誤解され、赦すことのできない時、冷たい関係になってしまいます。人間の愛は不安定です。なぜなら、それは自分中心に考える愛だからです。しかし神様の愛は、ちょうど太陽がすべてを暖めるのと同じように、すべての人を公平に愛し、変ることなく愛し続けておられます。
最近、本で知ったのですが、レーナ・マリア・ヨハンソンという20代のスウェーデンのクリスチャン女性がおります。彼女は、生まれた時から両腕がなく、左脚も右脚の半分ほどの長さで、義足をつけています。しかし彼女の屈託のない輝いた笑顔、その積極的な生き方は、他の人に勇気と励ましを与えています。右足を手のように使い、車を運転し、水泳もし、音楽大学を卒業しコンサートで活躍中です。彼女は
「一羽の雀でも、神の御前には忘れられてはいません」
と聖書の言葉を引用し、神様の愛を語ります。
神様は私たちが生きていくのに必要な生活の糧や健康を備えて下さいます。
「その人は、水路のそばに植った木のようだ。時がくると実がなり、その葉は枯れない。その人は何をしても栄える」(詩篇1篇12節)。
これは私の好きな聖書のことばです。「その人」とは聖書の教えに従っていく人のことです。これからたとえ苦しい試練があったとしても、愛の神様は、それをすばらしい恵みと変えて下さいます。
この愛の神様をぜひ求めて下さいますようにと祈ります。
文・岡本 吉衛