<巻頭メッセージ>
『救いの光をもって この世を照らす教会』
長谷川忠幸 Tadayuki Hasegawa
中国教区長・境港キリスト教会(鳥取県)
<INDEX>
- 第42回 全国聖会レポ
生武嗣幸 全国聖会実務委員長 姫路キリスト教会(兵庫県)
- 価値観 第2回 世の中 vs 神の国
「天才の宝庫~発達障害について➋」
堀川寛 広島基督教会(広島県)
- 聖書と映画 映画「ベンハー」
「秘すれば花なり」
菊山和夫 鎌倉大船キリスト教会(神奈川県) - 紹介 海外伝道部
長澤牧人 海外伝道部長 熊本聖書教会(熊本県)
- 紹介 ろう者伝道部
五島靖子 松山神愛キリスト教会(愛媛県)
- 召天 三浦金一郎師 主の召しに従って
大引毅代史 氷見キリスト教会(富山県) - 3月31日に引退 その③
漁師町で燃やし続けた救霊の炎
山本 茂子先生 長澤牧人 九州教区長 熊本聖書教会(熊本県)
祈りによって歩んだ器
浜崎 峰子先生 三箇豊実 東北教区長 郡山キリスト教会(福島県) - 教団の動き⑥ 天野 弘昌 総務局長
- 中央聖書神学校(CBC)掲示板
『救いの光をもって この世を照らす教会』
長谷川忠幸 Tadayuki Hasegawa
中国教区長・境港キリスト教会(鳥取県)
民数記9章1〜14節に、月遅れの過越しの祭りに関する規定がある。主の軍勢を構成するための人口調査を終え、いよいよ旅を開始すべく過越しの祭りを行うのだが、その際、何人かの者たちが死体による穢(けが)れを負ってしまい、祭りに参加できないという事態が生じる。
その者たちは「死体に触れて汚れていますが…主に献げ物をささげることから除外されなくてはいけないのでしょうか」(民数記9・7、新共同訳)、すなわち、穢れを負った者は神を礼拝する民としてふさわしくないのかと訴え出るのである。これに対して、主なる神は、この穢れを負った者たちに一か月遅れで過越しの祭りを行うように命じる。
この物語を通して重要な教えがなされている。1節に「エジプトの国を出た翌年の第一の月」とある。穢れを負った者たちはこの1か月後に過越しの祭りを行うのだが、1章1節を見ると「エジプトの国を出た翌年の第二の月の一日」とあり、この日に主なる神は、イスラエルを聖なる軍勢として数えるのである。とすると、この人口調査の中には、月遅れの過越しの祭りを行う者、すなわち、穢れを負った者も含まれているということである。
つまり、月遅れの過越しの祭りの規定とは、イスラエルが神によって数えられたのは、イスラエルが聖なる者だったからではなく、神の恵みによると教えているのである。神に数えられるにふさわしくない者が、神の恵みによって招き寄せられ、聖なる神の民として数えられたのである。そのことを忘れなければ、聖なる軍勢は、人々を神の御許(みもと)に招き寄せる聖なる光を放つために、穢れた荒野に出ていくことができるのである。
私たちもまた、神の民としてふさわしくない者であったが、主イエスは罪の穢れを負った私たちを慈いつくしみ、贖(あがな)い、聖なる民として数えてくださった。そのことを忘れてしまうなら、私たちは自分の聖性を汚さないよう、教会の中でじっとしているだろう。しかし、十字架の主イエスを仰ぎ見るなら、人々を神の御許に招き寄せる聖なる光を放つために出ていく者とされるのである。
憎しみと疑念が蠢(うごめ)く今こそ、私たちは主イエスの聖なる光をもってこの世を照らし、人々を主イエスの御許に連れ来るために出ていく者となるべく、主に献身の信仰を祈り求めよう。