「ナイナイではなく、アルアルで!」 
 教職部長 内川高志(明石キリスト教会)

聖句:詩篇92:1〜2

主に感謝するのは、良いことです。いと高き方よ。あなたの御名にほめ歌を歌う ことは。朝に、あなたの恵みを、夜ごとにあなたの真実を言い表すことは。

数ある数字の中で「0」は特別な存在です。昔のヨーロッパでは、ラテン語の一部を用いたローマ数字(I,II,III…)を使っていました。しかし、数が大きくなると大変です。たとえば1728なら、MDCCXXVIIIと長くなってしまうのですから。やがてインドで生まれた「0」の概念が利便性の高いアラビア数字と共に使われるようになり、今日でも用いる10進法に発展していきます。しかし、その一方で中世ヨーロッパでは「0」は悪魔の数字と形容されました。なにやら不穏な表現ですが、その理由は「0」が何もない状態を作るから。たとえば100×0=0という計算式に表れているように、どんなに大きな数でも「0」をかけると全てが「0」になってしまいます。元来何もない状態を表す「0」を持たなかった彼らにとって、「0」は便利であると同時に恐ろしい数字でもあったわけです。

しかし考えてみると、この「0」のような言葉を私たちも使っているのではないでしょうか。それは「ない」という言葉です。時間がない。余裕がない。お金がない。才能がない。人脈がない。将来性がない…いくらでも出てきます。「ない」の破壊力は絶大で、本当は「ある」はずの恵みや喜びをも一瞬で吹き飛ばします。イスラエルの民は荒野で「肉がない。魚がない。水がない。パンがない。キュウリがない。ニラがない。ああエジプトの生活が懐かしい。ここには何もなくてマナを見るだけ。うんざりだ!」と呟きました。「ない」と口にした途端、変わらずにあり続けたマナという神の恵みを見失い、帳消しにしてしまったのです。ナイナイばかり探し、ナイナイばかり口にしているなら、不満で終始する人生になってしまいます。

ナイナイではなく、アルアルで生きてみませんか。最近病床に就いた義父を見舞うたび、身体は弱りつつもその口から「感謝」「ハレルヤ」「アーメン」が絶えないことに驚かされます。ナイナイを探せばいくらでも見つかる状況でも、神の恵みを見つける人こそが幸いだと教えられています。私たちの一日にも、マナのごとくにどれほど多くの神の恵みが与えられていることでしょう。その恵みを見つけるたびに、与え主に感謝するのです。「ハレルヤ!」と口にし、神を賛美するのです。

あなたの日常に溢れている神の恵みを探しましょう。見つけましょう。感謝しましょう。「これもある!あれもある!」と、今ある恵みを数えて感謝する時、「0」をかけてばかりの時とは全く違う心の平安が必ずあなたの心を満たしてくれます。



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