いかめしい門や塀などは一切ない。公道を折れると比較的細い道がダラダラと登っていく、その上に校舎、事務所がある。その前に留岡幸助牧師の胸像があリ、胸像を載せた石柱の正面に「一路至白頭」と刻まれている。
事務所から右手に折れ一層狭くなった道を登って行くと太い樹林に囲まれた木造のチャペルがある。失礼して内部を拝見させて頂いたが大正初期のチャペルの雰囲気をそのまま保っており、建築史的にも貴重なものではないかと思わされる。会堂正面に大きな額が渇げられており、達筆で「難有」 と二文字大書されている。
《福音》恵みのおとずれ 1997年1月号
この学校へ来る子どもたちはそれぞれの過去を負っている.その子どもたちが集まるチャペルの実正面に「難有」の二文字である。人生困難が有ると言う意味にもとれるし、平たく言えば傷物だと言う意味にもとれる。普通ならば少年たちに過去のことは忘れてと言うのだろうが、ずい分厳しい言葉だなあと思った。しかし、よく考えて見ると、この字を書いた人は本当の優しさを待っていたのではないのかと思わされた。
自分が難有だ。傷物だと心から認めて、そこから出発してこそ新しい人生が開けるのではないか。僕の牧師人生も30年を越えた。 どうしでも円くなり勝ちになる、マァマァ、ナアナァでやる様になる。これがいけない。
「難有」と喝破する鋭さを失ってはいけない。人間みな傷物だ.そこからスター卜させてあげる牧師でなければ真の意味で優しくはないのだ。
苫小牧・山手町神召教会牧師(現・山手町教会)
大坂克典(召天)