《福音》恵みのおとずれ 1991年12月号
私の故郷は人口が一万人ほどの太平洋に囲まれた小さな町である。山から見おろす海が格別で、私はその静かな町が好きであった。高校を卒業するまでキリスト教とは無縁の生活をそこですごした。
そうはいっても、クリスマスの思い出ぐらいはある。私が小学生の頃、母は毎年バタークリームの大きなケーキを、クリスマスには用意してくれたものだ。経済的には苦しいことが多い家庭であったが、子供のささやかな楽しみを大切に育ててくれていたので、貧しさを感じることは一度もなかった。何十年も経った今でも、妙にこのクリスマスのケーキだけが記憶に残っている。
12月25日に家族みんなで食べたと思うのだけれど、ケーキはいつも最後まで残っていた(余分に一つ買っておいてくれたのかも知れない)。
その残りを三日ぐらいかけて一切れずつ食べるのが楽しみであった。それを食べたくて、学校から急いで帰ってきたりした。クリスマスといってもキリストと無縁の思い出であるが、その頃の気持ちがとても懐かしい。
今日のように刺激の多い時代、飽食の時代に生きていると、あんなささやかなことで楽しく生きていた日々が、とても高価に思えるのである。
十数年後、教会に行くようになって、私ははじめて本当のクリスマスの意味を知った。この暗い世界を、私たちの暗い心を明るく照らすために、神が人の姿となって天から地上に降りてきてくださった。それがクリスマスであると知った時、不思議な感動に包まれた。
「わたしは世の光です。 わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」
このキリストの言葉は、実に権威に満ちた大胆な言葉である。そして事実、キリストを信じるすべての人々の中にそのことが実現した。
その一人にミス青森に選ばれたIさんがいる。彼女は人々から何かにつけて注目される存在になり、それが同僚の友達にやっかまれて、顔に硫酸をかけられてしまう。ぐしゃぐしゃになった顔はいくら整形治療をしても元の美しさには戻らなかった。彼女は憎しみと恨みを持ちながら人を呪い、世を呪い、自分を嫌ってどうすることもできない絶望の中に陥っていた。
そんな時、病院の窓から外を眺めていて、教会の十字架がふと目にとまった。彼女は教会に行って聖書の話を聞き、外側の顔の醜さよりも、心の醜さが問題であることを悟った。そしてその心を変えるためにキリストが来られて苦しまれたことを知り、信じてクリスチャンになるのである。
その後、硫酸をかけた女性と再会して彼女は言った。「ありがとう。あなたのおかげで私の顔は醜くなりましたが、心はキリストによって清く明るくされで、今はとても幸せです」。
キリストはあなたの心に光をもたらし、みずみずしい輝く心を甦えらせてくださる方なのです。クリスマスはあなたのためです。どうぞ、キリストのもとにおつどいください。
牧師 藤田 克裕
名寄聖書キリスト教会
現在は、鷹栖キリスト伝道所に転任