《福音》恵みのおとずれ 1994年 2月号

 人は幸いを求め、豊かさを望み追求してきた。物質文明と情報文化は便利で有能な役割を持つ機器を開発してきた。人は競って新しい情報を得ようとしてきた。しかし物質文明は使い捨てのゴミ問題と環境破壊を生み、情報文化はバブル経済の破綻を生じさせた。

 昔の人は善行には報いがあり、悪行にはさばきが来ると言った。人は自分の願いをただ求めるだけだが、聖書には「神の計画だけが成る」と記されている。

 人には真の平安が必要です。人は幼児から年寄りにいたるまで様々な競争の生活をしており、緊張し、ストレスで疲れている。受験、就職、育児、仕事、人間関係におけるトラブルがある。人は傷つけ合い、疲れ果て、ついにノイローゼになったり、病気で倒れてしまう。人はくつろいで過ごすことよりも、忙しい生活に追い立てられている。イエス様は疲れた人が休むことができないでいるのを見て、その心も荒れて、殺伐となっている姿を、憐れんでおられる。イエス様は、疲れを覚えているあなたの傍らに立って下さり、平安と慰めを与えてくださるのです。

 イエス様の言葉は、あなたを幸いの道に導いてくださる。人は学校や職場や社会の最低限のルールを守らないなら、世の中の秩序を維持することはできない。人の世はいろいろな約束事で成り立っている。

 夏目漱石は草枕の冒頭で「智に働けば角が立つ、情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい……。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて越す国はあるまい……。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。」と言っているが、引っ越すことのできない人の世で生きていくためには、自分でやっていこうとするのではなく、イエス様に導かれ、従っていけばよい。イエス様を信じて、聖書の言葉に従っていく時には、住みにくいこの世も、幸いな日々を送らせていただくことができるのです。

 神の国の救いはあなたにも届けられている。聖歌に「君は明けの星、谷間の百合、比べ得るものあらじ」というのがある。

 人は明けの明星を見るためには暗い夜を通りすぎなければならない。谷間の百合を見るためには、谷の底に降りていかなければならない。神様が私たちを愛し、私たちに救いをもたらすために、イエス様をこの地上に遣わし、十字架につけてくださいました。出会いを求めて、低くなり、十字架の上で生命を捨ててくださいました。そのことによって神の救いの確かさが私たちのところに届けられました。暗いこの地上に、明るい希望と、人生の谷間にすばらしい喜びを与えてくれるイエス様を信じてみませんか。

文・佐野 敏和