《福音》恵みのおとずれ 1998年 5月号

 5月、それは春の日差しの力を受けて、新緑が誇らしげにその命を表現する時期です。
 私が住んでいる青森の八甲田山でも、雪の中から一斉に木々が若い緑の芽を出しています。
 しかし、その5月も人間にとっては、4月から新しくスタートした生活や、環境の中で最初に遭遇する試練、「5月危機」の時でもあるのです。

 5月危機の原因の多くは、理想を描いて入った会社が現実には理想と違い、多くの問題や人間関係のトラブルがあったり、一生懸命勉強して入学した学校で、それから先の目標を持てなかったりと言ったことだそうです。
 会社や学校では、人はその業績や成績ですべてを判断されてしまいがちです。そんな中でいつしか自分自身も、成績や業績がすべてだと考えてしまい、悩み、時には失望してしまうこともあるのです。

 しかし、神様は違います。神様の目は私たちの存在そのものに向けられているのです。行いに向けられるのではないのです。

 赤ん坊が自分の足で歩き出す時、その小さな両手を天に上げて歩き出します。そして、慣れてくるにつれて少しづつ、その手を下げて歩くようになるのです。しかし、その手を下げることがあまり早すぎると、たちまち尻もちをついてしまいます。
 私たちも、自分の力を過信して、自分で何でもできると思った時、痛い経験をすることでしょう。

 しかし、ここにイエス・キリストというお方がいらっしゃいます。私たちの犯した罪の身代りに、十字架という父なる神からの刑罰を受けて、死んでくださり、3日目によみがえったお方がいらっしゃいます。
 そのお方を心に信じ、仰ぐ時、イエス・キリストは私たちの救い主となってくださいます。それは、私たちの行い(業績など)ではなく、私たちの信仰によるのです。
 その信仰の手をイエス・キリストに高く伸ばしてゆく時に、神様は私たちを受け入れ、私たちの罪を赦し、豊かな恵みと力を与えて、喜びと希望に満ちた確かな人生を歩ませてくださるのです。

エペソ人への手紙 2章8節

文・澁谷 友光