主の教会を建て上げる喜び
下道 定身 (教育局長/札幌神召キリスト教会)
私が神学校卒業と同時に遣わされた教会は、新築されたばかりの岩見沢神召キリスト教会でした。また今から28年前に赴任した現在の札幌神召キリスト教会も、献堂間もない美しい会堂の教会で した。この教会堂を通してまた教会の働きを通して多くの兄姉が救われ、多くの実が結ばれてきました。そして今、新たに来年2月完成を目指して、新会堂建築に取り組んでいる最中です。そして外なる新会堂という建物の建築を通して、内なる霊的な教会を建て上げることの恵みと喜びについて思いを新たにせられています。
「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てよう。黄泉(よみ)の力もそれに打ち勝つことはない」(マタイ16・18)
まず第一に、「わたしの教会」とあります。 在建築中の教会堂は、私たちのものではなく、キリストにおささげするキリストの教会です。自分たちの都合や好みや満足の為ではなく、キリストご自身の御旨に適(かな)った、主に喜んでいただける教会こそが私たちの願いです。そして、ご自分の命をもって贖(あがな)い取られた聖なる花嫁としての教会を、来たるべき日に花婿なるキリストにおささげしたい、それが私たちの願いです。
次に、「わたしが建てよう」とあります。 外なる教会堂も、内なる霊的教会も共にキリストご自身が建て上げておられます。現在の会堂建築に際し、また、これまでの牧会の中でも、さまざまな霊的戦いの中で、同時に主ご自身が主の教会を守り、建て上げておられる恵みを日々、体験しています。
神学校を卒業して間もない頃、私は礼拝の人数に一喜一憂して、「主よ、今日の礼拝者が少なかったのは私の説教のせいですか? それとも私の愛と祈りが足りなかったからですか?」と一人祈っていました。主はやさしく、「この教会の牧者はわたしです。教会を建て上げているのは、わたしです」と御声を下さいました。この経験は、私の牧会の原点です。
第三に、「黄泉の力もこれ(教会)に打ち勝つことがない」とあります。 あらゆる罪の問題、罪の報いなる死の問題に対して、勝利と解決の福音をもっているのは主の教会以外にありません。全ての人に天国への門を開く福音の鍵は教会が握っています。
新会堂建築の意味を、また主の教会を建て上げることの恵みと喜びを、今また新しく思い巡らされているところです。