『祈りの焦点を
どこにおくか』
新・祈りのコラム(11)
月刊アッセンブリーNEWS 2015年 3月号
富山キリスト教会
佐野兼司
Kenji Sano
祈りの焦点をどこにおくか
「主よ、今こそ彼の脅(おど)しに目を留め、あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください。」
(使徒言行録4章29節 新共同訳)
イエスの復活を宣べ伝えたという理由でペトロとヨハネは捕えられ、牢に入れられ、議会で取り調べを受け、脅されてから釈放されました。釈放された二人は仲間のところに行って、すべてを報告しました。冒頭の聖句は、それを聞いた人たちが心を一つにして祈った祈りです。
「主よ、今こそ彼らの脅しに目を留め、迫害が止むようにしてください。」そう祈ってもよさそうなものですが、初代教会の信者たちは迫害が止むようにではなく、むしろその状況にあって、「あなたの僕たちが、思い切って大胆に御言葉を語ることができるようにしてください」と祈りました。御言葉を語ると迫害されるのです。しかし彼らは、「ますます語らせてください」と祈りました。祈りの焦点は明確です。これが聖霊に満たされた初代教会の祈りでした。
10年前、ちょっと辛(つら)いなあと思う病気になりました。もちろん、いやされるように祈りました。しかし、そこだけにこだわると、祈りの焦点が「私のこと」に向いてしまいます。初代教会の信者たちとは状況がちがいますが、「自分の状態がどうであれ、どんな状況の中にあっても、ただただ御言葉を語らせてください、福音を証しさせてください」と祈りが変えられることで、不思議にも力が与えられたことを覚えています。
何を祈るにせよ、祈りの焦点を「神のこと」に合わせるとき、力が与えられ、信仰の世界が広がっていくような気がします。
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