《福音》恵みのおとずれ 1996年7月号

私のコンビューターが、いきなり世界中の情報神経網と接続され、机の前で居ながらにして、ケネディ一宇宙センターに行って、スペース・シャトルに関する情報を提供してくれる。わーっ凄い!と思わずその情報の深さに驚嘆してしまう。また、私は身近にあるホームぺージを開いた。そこには主人の病気に関する情報があり、無料で情報提供されているので取得は可能。私たちの人間関係も徐々にネットワークされている。

 先日テレビから流れた音声に、主人が「羊の毛がもらえるそうだよ」と教えてくださった。早速、親しい友人に電話をして、抽選の結果(?)一匹分の羊の毛を入手できた。“神様からの贈り物”は私に種々の事柄を教えてくれた。一人になって、風呂場のイスに腰を下ろし、動物性蛋白の独特のニオイと、排泄物、枯葉、草等々が混入している毛、しかし確率で私の手元に来たからには、と二日がかりでかなり丁寧に洗い上げた。「羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。」(聖書) 羊飼いのうしろで、食べたりころげ廻って遊んでいた羊、その生活環境が理解できるゴミ、赤ちゃんの産毛より細い、ネットのように張られた毛の間には、小さい細い草の繊維が数多くある。水の中で充分除去したにもかかわらず、太陽光線の下では更に発見される小さいゴミ、私も羊と同じ。光に照らされ、ゴミを除かれ、温かい混ざり物のない者とされ、神様に用いられる者となりたい。
 
 さてこの毛で糸が紡ぎ上がったら何を作ろうか。私には、私のために祈リ続け、捧げ続けている老いたクリスチャンの女性たちがいます。彼女たちは祈りの輪をつくって、ネットワークされている。寒い冬の来る前に、この白くて柔らかい毛糸で襟元を包むマフラーを作りましょう。元気で待っていてね。あの方、この方….いつの間にか手は休んで祈っている自分を発見する。イエス様もまた、私のために祈っていてくださる。今日も私の毛の間のゴミを除きながら。

文・渋沢清子