《福音》恵みのおとずれ 1996年5月号

難関を突厳して入学した学舎(まなびや)、入社した職場等々で、新しい生活がスタートして早ーヵ月が過ぎようとしている今日この頃、皆さんは自分の名前を正確に呼ばれ、輝かしい晴々とした気持で「ハイッ」と返事をした時のことを思い起してください。

 今、私は1960年のことを思い出しました。新しい町での生活が始まるので、転入届を出しに役場の窓口へ行った。付近には私の他、人は居ません。係の女子職員は「〇〇〇さん」と呼びます、でも私の名前ではない。あたりを見渡しても私だけ。又「〇〇〇さん」と声は大きい。私じゃないので「ハイッ」と返事はしません。とうとうその職員「お呼びしてるんですが」その声には刺(とげ)があった。 「私は、渋沢です。お呼びになった名前と違いますでしょ。」苦い思い出。さて、それから十数年後、息子が他県の学校に入学したため、銀行からの送金となったある日、相変わらず混雑している行内、窓口で名前を呼ばれた、「シブヤ チカラ サマ」、「シブヤ チカラ サマ」…あーあ又ね、違いますよ、私は憂鬱(ゆううつ)になった。大石内蔵助(おおいしくらのすけ)の息子は主税(チカラ)”うちの息子は主悦(シュエツ)” - 主によろこばれる者 ー なんですよって言おうかなと思った時、係長らしき男性行員が側に来られ『先生.お呼びしてますけれど……」「えーっ.私、渋沢ですが」……1分程して、性格な名前が呼ばれ私は、晴れやかな声で「ハイッ」と返事ができた。渋谷さんと呼ばれては「私、渋沢です」と訂正したこと幾度か。

 この岐阜教会に来る一カ月程前の夕刻、前触れもなく訪れた教会の玄関先では、うれしかった。初対面の男性信徒は「あっ、今度来られる、渋沢先生ですね」の声に「ハイッ、そうです……」ニッコリ笑って答えた。残る生涯、渋沢という名で、この地でキリストの証人として生きて行きたい。

 やがて、小羊のいのちの書に記されている、私たちの名前を正確に呼ばれる時が必ず来ます。その時「ハイッ」と答え、天の御国の門を通って都にはいれるようになる者は幸いです。

文・渋沢清子