《福音》恵みのおとずれ 1997年4月号
子供たちにとって、4月はいつも新しいスタートの時です。新しい先生や友だちとの出会いの時。ちょっぴり不安な心を抱きながら新しい未知の世界に好奇心を持って踏み出していく、あのドキドキする子供の頃の春の喜びを、私は久しぶりに思い出しています。
私は昭和17年3月5日生まれ、小学校に入学する時、両親は「年はいくつ?」「6才」「じゃあ、自分の年の数だけみかんを持っておいで」などと特訓したそうです。でも私は四つとか七つとか持ってきて、何回やっても合格できないで入学したのだそうです。当時は戦後間もない食糧難の時、結核という恐しい病気が猛威をふるっていました。私の母も私の2才の時、また祖母も10才の時、結核で亡くなりました。小学4年の時の担任の女の先生も5年の時の男の先生も結核で休職になり、私たちは自習、自習でよく遊び、 放課後も足もとが見えなくなるまで遊びました。
子供たちは裸足でおなかをすかし、寒さに震えるような貧しい生活をしていました。でも、あれから50年近くたった今、私はとても充実した人生を楽しませていただいています。 振り返って考えて見ると、私の幸福の原点は、小学5年の自習時間に読んだ一冊の本にあったことに気づきました。それは「少公女」という本でした。主人公のセーラーという少女が、道でお金を拾い5つのパンを買ったのですが、自分よりもっと不幸な女の子に出会い、そのパンをあげてしまう場面を読んだ時、私は泣いてしまいました。他人に物を与えるなんて考えられない余裕のない生活をしていた私は、貧しさの中でこんなに美しく強い生き方をしている人もいるんだという感動と、それを知らないで生きていた悔しさで泣いたのです。この時から私は本の虫になり、高校一年の時「聖書」という本に出会うことになりました。これは私の生涯の本となりました。
文・渋沢清子