《福音》恵みのおとずれ 1997年5月号
昭和32年、私は二本松の町にある県立高校に入学しました。田舎育ちの私は、この町ではじめて外国人に出会ったのです。 目の青い金髪のおばあさんでした。 名前はマリヤ・アンダーソンといい、アメリカ人の宣教師でした。夕方学校からの帰り道、二本松駅ではじめてアンダーソン先生を見かけた時、私の心はひきつけられ、とらえられてしまいました。今までに見たことのない、まぶしいほどの明るさに輝いていたからです。もう60才を過ぎていると思われる老人なのに、言葉も不自由で家族もいない外国の地で、どうしてこんなに喜びではちきれそうな顔をしていられるのだろう。この不思議さに私の心は強くとらえられてしまったのです。私には家族があり友だちもいる。15才という若さもあるのに、心は死の恐れと生きることの虚しさに支配されて真っ暗闇でした。みんなが勉強しているから仕方なく勉強し、みんながクラブ活動にはいっているから誘われて仕方なく、しかもまじめに合唱部で歌っていたのです。心から私はこれがしたいという願いを持つことができない、私はそんな高校生だったのです。
私は外国人にも英語にも宗教にも興味を持つことができませんでしたが、ただ「私もあのアンダーソン先生の持っている明るい光がほしい」という願いだけで、先生のバイブルクラスの生徒になりました。クラスの仲間たちはみんな、自分の目的に向って、ある者は英会話にある者は聖書にと積極的に取り組んでいましたが、私には取り組むべき何ものも見い出せませんでした。ただ、アンダーソン先生の内にある光を追い求める長い長い旅が、この時からはじまったのです。「愛は寛容であり、愛は親切です。また、人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。 礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、 怒らず、人のした悪を思わず…。」その光は愛の光、神の光でした。
文・渋沢清子