《福音》恵みのおとずれ 1997年7月号

1960年(昭和35年)は、安保闘争で日本全土が揺れ動いた年でした。この騒然とした年に、私は福島大学に入学しました。毎朝校門で抱えきれないほどのビラが手渡されました。私は国家のことや、世界状勢のことなどは、教科書で学んでいても、直接自分にかかわることとして考えたことがありませんでした。共産主義と民主主義の諸国の対立のニュースを聞いても、遠い世界の出来事のようにとらえていました。ですから、安保闘争の問題にもどのようにかかわっていったらよいのかわかりませんでした。教室では上級生たちがやってきて授業を放棄するように説得され、新入生の私たちは、おろおろするばかりでした。この年は明けても暮れても学生運動に燃えた年であり、若い学生たちの命が闘争の中で失われた年でもありました。そんな渦の中で私は全く燃えることができませんでした。「人は何のために生きるのか。死の意味は何か。世界は何のために存在するのか?」。これが私の知りたかったテーマだったからです。でも生や死の問題、存在の意味などはだれも問題とは考えていないらしく、そのようなテーマを扱う教室はどこにもありませんでした。ただ教師になるために必要な知識と技術を学ぶための教室があるばかりでした。生きる目的もわからず、存在の意味も知らないで私は教師として子どもたちの前に立つことはできないと思わされました。

 3年生の秋、高校卒業以来行っていなかった教会へもう一度行ってみようと決心しました。神を認めたくないという人間の本音、それが罪だと聖書は言っています。私は聖書の言う通り、神を受け入れたくなかったのです。しかし、私の抱えていたテーマに答えてくれるまことの教師は、イエス・キリストしかいなかったのです。「もし私の言葉にとどまり、私の弟子になるなら、真理を知り、真理はあなたを自由にする」とイエスは言われました。

文・佐藤順子

文・渋沢清子