《福音》恵みのおとずれ 1997年9月号

私は大学を卒業して5年間、公立の小、中学校の教師として勤務しました。最初の一年目は中学校で、全校9クラスの音楽と、一年生3クラスの英語を担当しました。教師生活にも何とか慣れた12月、ボーナスをいただいた日のことでした。教材研究のために音楽室でピアノをひいて帰るので、他の先生より退勤時間が少し遅くなってしまいました。校門にさしかかった時、何者かが、私のボーナスのはいったカバンを奪って逃げていったのです。この事件は学校全体にも、私自身にも大きな波紋を及ぼすことになりました。犯人は、放課後卓球などをして、親しく語り合うような生徒たちの中の一人だったからです。

 それまで私は愛され、守られ、信頼し合って生きてきた一つの世界しか知らなかったので、ショックが大きく、どう受け止めたらいいのかわからず混乱しました。更に驚かされたことは、彼が全然悪びれた様子もなく、ニヤニヤ笑いながら私の授業に出席したことでした。私の方が、彼がどんなに苦しんでいるかと考え、どのように彼とかかわっていったらいいかと思い悩んでいたのですが、彼は私の人生観を変えました。私の周りには、私の知らない多くの世界があるのだと知りました。ちなみに、先輩の先生たちから、私はよく“お嬢様先生”と呼ばれていました。

 私はこの事件の後、教会の日曜学校の教師となり、聖書教育の奉仕をすることを決意しました。9年間もの長い年月教育を受けて、このように人を裏切り傷つけても、何も痛みも感じないで笑っていられる人がいる。私は、自分が一生をかけて取り組もうと思っていた、教育という仕事に疑問を持つようになりました。

 聖書に「イエスはますます知恵が進み、背たけも大きくなり、神と人とに愛された」とあります。人が美しく成長していくためには、神を知らなければなりません。成長させて下さるのは神であり、神は他人のために泣くことのできる、美しい人に育てて下さいます。

文・佐藤順子

文・渋沢清子