《福音》恵みのおとずれ 1993年9月号

キリスト教会のシンボルである十字架にはいくつかの象徴的な意味があります。一つは処刑の道具としての十字架です。主イエス・キリストは処刑される正当な理由の無いまま、十字架につけられて殺されました。十字架はキリストの「死」を意味しているのです。しかも主はその「死」をあらかじめ弟子達に予告しています。(マタイ16:21)その時、主は弟子達に、「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」(マタイ16:24)と勧告されました。故に、教会に見られる十字架にはもう一つの意味が含まれています。十字架は、主キリストが人類に永遠の「生」を与えるために、罪の代価を払って「死」を受けられたことの象徴であり、同時に、自我を殺して主に従う私共の献身の象徴でもあります。

 ところで、使徒ヨハネはその手紙の中に、「私たちの見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。」(Ⅰヨハネ1:3)と記しています。「私たちの交わり」と「御父および御子イエス・キリストとの交わり」二つが混同されているように読めますが、実はこれは十字架形に重なった二重の交わりのことなのです。十字架は垂直に立てられた柱と、横に打ちつけられた柱が組み合わされています。ヨハネがいうところの聖書的な交わりは、縦の柱である「御父および御子イエスとの交わり」と、横の柱である「私たちの交わり」との接点において初めて完成するのです。ここから理想的な交友関係や家族関係がキリストにあって結ばれます。

 それでは十字架上の接点を持った交わりは、具体的にどうすれば実現出来るのでしょうか。先ず、祈りを神に捧げ、また聖書に語られている神のみ言葉に接することにより、心が清められ、聖なる神と交わることが出来るようになります。そうするとアガペーの愛と呼ばれている神の愛が神の懐から流れだし、人と交わるための正しい態度がそこに整えられるのです。十字架の接点がある人間関係にこそ、赦しがあり、受容があり、愛があるのです。その結果多元的な世界に、多様性のある社会に、個性の違う人々のなかに一致と和合が実現するのです。

文・北野耕一

文・渋沢清子