《福音》恵みのおとずれ 1993年8月号

 「三角関係」というと、なんだかやっかいなことが起こりそうな雰囲気を連想します。一人の女性が一人の男性を愛し、愛されているロマンティックな関係の中に、もう一人の男性なり女性が割り込んで来ますと、それまで二人が味わっていた甘い感情が突然流れなくなってしまいます。その代わりににがく、重苦しいものがうごめき始め、不安感、不信感、苛立ち、果ては嫉妬そして憎悪が生じてきます。

 本質的に人間の本能的な衝動の中には、一人の人に所有され、所有したいという欲求原則があるのです。それがこの世でいうところの恋愛関係にまともに現れます。別に恋愛関係でなくても家庭の中で、母親の愛情を独り占めしたいという欲望から、兄弟間に葛藤が生じることもあります。また、上司の愛顧を受けている同僚に対して妬ましい想いがチラッとかすめるのも、独り占め本能の裏側が作用しているのかも知れません。こうした欲求原則があるばかりに、しばしば人間関係を一直線的な感覚で捉えてしまいます。だからそれ以外から割り込んでくるものを、極力排除しようとします。

 さて、ヨハネの手紙が書かれた目的は、「あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。」と記されています。ところが、それだけではなく、ヨハネは「私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わりです。」(Ⅰヨハネ1:3)と付け加えています。「私・私たち」と「あなた・あなたがた」という一直線的な関係に、「御父および御子イエス・キリスト」、すなわち、「神様」を加えるということなのです。言いかえれば、「神様」に割り込んで頂いて、「私」と「あなた」と「神様」との「三角関係」を持つというのです。イエス・キリストを救い主として受け入れるということは、目に見えない神様を頂点とする三角関係に入るということになります。家庭に置ける夫婦関係、親子関係、仕事場での人間関係に、キリストを招き入れるのです。これこそ真に健全な「交わり(人間関係)」なのです。この世の三角関係とは全く逆で、そこに赦しがあり、和があり、一致があります。そしてそこに神の愛が流れ始めるのです。こうした三角関係がそれぞれ組み合わされて、キリストを頂点とした三角錐型の教会、つまり交わりの場が出来あがるのです。

文・北野耕一

文・渋沢清子