vol.73- colum 「『四捨五入』のゆとり」

《福音》恵みのおとずれ 2001年 8月号

 3.141592653589793238462643383279。これは高校時代クラスメートが暗記して、自慢げに披露してくれた小数点以下30桁の円周率です。円周の長さを直径で割った値といえば何のこともないのですが、無理数なので小数点以下の数字は無限に続きます。だから、30桁であろうと、1万桁であろうと、どこまでいっても完全な円周率に到達することは不可能です。1999年10月4日に発表された東京大学情報基盤センターの情報によると、小数点以下2061億5843万桁まで計算が出来たそうです。それには大容量のコンピューターで9月18日の午後7時から20日の午前8時まで、37時間21分4秒の長時間を要しています。数学とは縁の遠い私にとって、それほどの成果も残念ながら意味のない数字の羅列に過ぎません。

 私が言いたいのは現実の生活の中で、「四捨五入」が難しい場合があるということです。いや「四捨五入」したくない時があります。完璧でありたい、正確でありたいという真撃な願いがエスカレートし、人間を人間らしくする大切な部分を見殺しにしてしまうのです。完全を追い求めて、最後の桁数まで整理しないと気が済まない几帳面さが、しばしば血の通った人間関係に亀裂を起こさせます。幾何学的な物差し以外に、この宇宙には様々な物差しがあります。またいろいろな測り方があります。人物評価も例外ではありません。

 律法厳守に忠実であったパリサイ人が、律法の適用にほんの少し「四捨五入」のゆとりがあれば、主イエスが、自分たちとは違った算出用法で律法を成就されている姿を発見できたに違いありません。互いの徳を高める人間関係について使徒パウロは「私たちの力のある(強い-口語訳・新共同訳)者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです」(新改訳-ローマ15:1~2)と勧告しています。見えやすい欠点を切り捨て、相手の良さを繰り上げ、「四捨五入」のゆとりでつきあうと、必ずそこに新しい信頼関係が生まれます。そして教会の徳が高められるはずです。

 主イエスが十字架の死を通して、無限に続いていた私たちの罪の絆を切り取る贖いを成就して下さったからこそ、汚れはてていた罪人の私が、神の子とされる特権に与りました。主の十字架は「四捨五入」ではなく、神の無限の愛による丸ごとの繰り上げです。

文・北野 耕一

文・渋沢清子