《福音》恵みのおとずれ 2001年 10月号

ことばには力があります。ちょっとした一言で勇気が出たり、逆に傷ついたりします。本当に不思議です。野球を例にしてみます。高校野球では守備でピンチを迎えると監督からの伝令が送られます。監督は状況を見極め、選手たちの性格を考えて、ある場合には励まし、またある場合には活を入れることもあるでしょう。すると、その後ピンチを切り抜けることがよくあります。ピッチャーは監督や他の選手たちのことばが励ましとなって、我を取り戻し、バッターに立ち向かうことができるのでしょう。このようにことばに力があることをあなたも実際に経験したことがあると思います。

さて、私たちには神様からのメッセージである聖書が与えられています。私たち日本人には外国の書物というイメージがありますが、聖書は時代を超え、洋の東西を問わず、老若男女を問わずすべての人に宛てて書かれていると言ってもいいものです。もちろんあなたもその中に含まれています。この聖書の中に、神様は私たちに対して実に様々なメッセージを語ってくださいました。そこには慰めや励ましが語られています。その一方では、間違いは間違いとしてはっきり語られ、正しい道へと導いてくださっています。そして、そこに語られていることばに共通していることは根底に愛があるということです。神様は私たちを一人残らず愛してくださっています。ですからやさしいことばや勇気を与えることばだけでなく厳しいことばも語られています。これらのことばによって大勢の方が励ましを受け、慰められ、癒されています。そして罪を示され、悔い改めています。私もその一人です。このように聖書のことばには力があります。

今この世の中は混沌として、不安に満ちています。先行きも決して明るくありません。しかも時代の変化にはすさまじいものがあります。様々な意味から私たちはピンチに立たされています。そのような中でも、なお聖書のことばには力があります。なぜなら「草はしおれ、花は散る。しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。」(Ⅰペテロ1・24、25)とあるように、時が流れ、状況が一変してもそのことばは決して変わることがないからです。この変わることなく、力のある聖書のことばについてイエス様は次のようにおっしゃいました。「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。」(マタイ4・4)聖書のことばは人を生かすということです。どのような状況の中でもあなたに力を与え、生かします。

しかしどんなに素晴らしいことばでも、それ自体に力があったとしても、それを自分のものとしない限り、その力は発揮されません。ちょうどピッチャーが監督のことばを受け止めて良いピッチングができるように、聖書のことばを受け入れる時にあなたは生かされます。

さあ、神様からの愛のメッセージである聖書のことばをご自分のものとしてください。その時、あなたは神様の愛の中で我を取り戻し、その歩みは生き生きとしたものとなるでしょう。あなたにとって、最も必要な罪の赦しと永遠のいのちが与えられるからです。もし、あなたのお手元に聖書があるならば読み始めてください。そして読み続けてください。また、お持ちでない方はお近くのキリスト教会を訪ねてください。聖書はあなたを生かす素晴らしいことばに満ちています。

文・渡辺岳見

文・渋沢清子