《福音》恵みのおとずれ 1995年 11月号
「先生、最近雨が降らんのぉ。さっぱり降らんのぉ。えっ。どうなっとんかのぉ。だめじゃ。木が大きゅうならんのぉ。水がないんじゃのぉ。困るのぉ。どうしたんかのぉ。植物が育たんがのぉ。」と、隣の畑でターおいやんが言う。
「最近、雨が降らんねぇ。おっちゃん、困ろう。」
「困る。困る。植物が育たんわ。こらぁ、どうなっとんかのぉ。降らんのぉ。」
「困るなぁ。祈っとくわ。雨が降るように。」
「おお。祈らにゃいけんのぉ。祈って雨もらわにゃいけん。先生、祈っといてなぁ。」
「ああ、祈っとく。祈って神さまに雨もらわにゃいけんなぁ。」
それから、三日ほどして雨が降って、 「おっちゃん。雨、降ったろう。」
「降った。降った。助かったわ。これで植物も育つわ。」
「先生はキリストさんか?」
「うん、教会の牧師や。」
「一度、参らにゃいけん思うとんやけど、ちょっと遠いからなぁ。よういかんわ。」
「また、来てな。ちょっと、遠いけど。」
病院に信徒の見舞いに行った時、隣のベッドに寝ているおばあさんとこんな話をすることがある。そして、お祈りをしてあげると、ちりしに千円包んで「これをあげとくれ。」と言われる。次に行った時にはその人たちはよく退院していて、新しい人が寝ている。
キリスト教は外国の神さまのような気がするから、何となく疎遠な感じがするけれど、オシャカさまはインドの人だし、イザナギ、イザナミは日本の神さまなのかもしれないけど、何だかわからない。
キリストさまが外国人のようなのはクリスチャンが外国人のように見えるからかも知れないけれど、キリストさまは決して外国人だけの神さまじゃありません。
雨を降らせてくれて、お米でも大根でも茄子でも育ててくれるし、日本から出たことのない、日本語と日本の国しか知らないおばあちゃんだって、ちゃんと治してくれる。
キリストさまは日本人の神さまだ。日本人を助けてもくれ、救ってもくれる。
一心にキリストさまにお頼みして、おすがりすれば、必ず助けてくださる。キリストさまこそ、まことの神だ。
(聖書)
「主の名(キリストさま)を呼ぶ者は、みな救われる。」
文・東 裕雅