《福音》恵みのおとずれ 2001年 9月号

イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネ11章25節)

 私の故郷には日本一の規模のトンボ公園があります。また、この季節には、周囲の田んぼでもトンボの乱舞を見ることができます。さて、今日はこのトンボの話でもしましょう。

 綺麗な水が溢れている池の水草の影に、フナやドジョウに交じってヤゴの家族が住んでいました。その家族はお祖父さん夫妻と両親それに5人の子ども達の大家族。それはそれは幸せな家族でした。ところが、ある日のこと、お祖父さんが身体が固くなる病にかかってしまいました。
 今までこの病気にかかり治ったヤゴはおりません。家族は代わる代わる枕元に来て、一生懸命に看病をしました。しかし、ある夜のこと、お祖父さんの苦しみが極限に達したかと思うと、その身体が引き上げられ始めたのです。家族は、お祖父さんをなんとか寝付かせようと彼の手足にすがりつきましたが、甲冑のように固くなってしまった彼の身体は、ものすごい力で上へ引き上げられるのです。家族には手の施しようがなく、引き上げられるお祖父さんの身体にぶらさがるようにして、後からぞろぞろとついていくばかり…。とうとう、彼の身体が水面に…そして、水面を突き破って家族の視界から消えてしまいました。愛するお祖父さんを失った家族たちは、泣きながら家にかえっていきました。まもなく、呆然としている家族のもとに、近所に住む、フナとドジョウが、彼の亡骸(脱殻)をヤゴたちの家に運んでくれたのです。

 さて、当のお祖父さんは、夢を見ているようでした。自分が若返っているのです。しかも背中に羽がついているのです。羽をバタバタさせてみました。広い空を飛べるではありませんか。お祖父さんはしばらく無我夢中で飛び回っていました。そのうちに小さな水溜まりに気付いたのです。目を凝らして覗き込んでみると、なんと、あの愛する家族が自分の亡骸を前にして、泣きながら葬式をしているのが見えました。驚いたお祖父さんは「おーい。泣くことはないぞー。俺は生きてるぞー。ここは素晴らしいところだぞー」。彼は大声で叫びましたが、その声は緑の草原に響くばかり、池の中では悲しみの葬列が静かに進んでいくのでした。

 このヤゴの話はもちろん作り話ですが、聖書に

「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって…」(ローマ1章20節)

 とあるように、神様は昆虫の羽化するさまを通して、私たちに、もう一つの誕生があることを教えようとしていると感じるのですが…いかがなものでしょうか…?

 実際、私たちには、神様を直接見ることができません。しかし、神様は、私たちが神様の創造された広大な自然界を、注意して見回しさえすれば、神様の全知・全能性や無限・永遠性、さらに天国や裁きなどについて、全ての人が容易に察知し理解できるように、備えてくださっているのです。

 私たちにとって、ある年齢以上になってからの加齢には一抹の寂しさを感じるものです。まさに、ヤゴのお祖父さんと同じような不安と恐怖と苦しみの谷底に落ち込んでしまうのではないでしょうか。そんな時こそ、私たちの過去、現在、未来にわたって、いつも栄光へのドンデン返しを準備していてくださる神様の御許しに留まろうではありませんか。大いなる平安を頂戴しようではありませんか。

 神様が準備している栄光へのドンデン返し。それは最期の時だけのものではありません。日々の生活の中で生じる、悩み、悲しみ、苦しみなど全ての行き詰まりに対して、力強く勝利に満ちた日々へ…、またやり直しのきく祝福に満ちた新しい誕生へと導いてくださるものです。神様が準備してくださっている栄光へのドンデン返しの生涯を、あなたも大いに体験していただきたく願っています。

文・竹中 通雄