《福音》恵みのおとずれ 1998年 7月号

まだフィリピンで宣教師をしていたころ、私は死刑囚として服役していたことがある牧師と、お付き合いをしていました。彼は6歳で路上生活を始め16歳で逮捕されるまで、考えつくあらゆる犯罪を犯し、殺した人間の数も思い出せないほどでした。300年の懲役と三重の死刑という、とてつもない判決でモンテンルパという刑務所に入ってからも、4000~5000人いる受刑者の中で500人以上を手下に従える最大のボスになりました。ここでもありとあらゆる凶悪犯罪を重ねました。何人殺したか覚えていません。警務官さえ殺しています。しかし死刑は執行されませんでした。暴動が起こることが心配されたからです。(向こうの刑務所は所内で自由に動き回ることができます。)

ところが、彼は46歳で刑務所を出て来たのです。そして現在は、こともあろうに牧師をしています。しかも、実は彼だけではなく、他にも15名程の重犯罪者たちが刑期を終えずに、あるいは死刑を免れて出所し、牧師をしています。わたしは、出所した彼らが社会生活に慣れ、牧師としてより良い働きができるように、特別にセミナーや訓練会を開いて、お付き合いをしたものです。

こんな信じられないようなことが、どうして起こったのでしょう。これは刑務所の責任者も、法務省のえらい人たちも、認めずにはおれなかった神様の力です。神様は人間を変える力を持っておられます。どんなにひどい人間も、どんなに惨めな生活も、神様は変えてくださいます。モンテンルパの刑務所を出た牧師たちは、どこにいっても、自作の歌を歌います。「学校も、警察も、刑務所も、どこの誰も、自分たちを変えることはできなかった。しかし、刑務所の中でお会いした神様は、私たちをまったく造り替えてくださった。私たちこそ、神様の御手の一握りの奇跡です。」
人間が造り出した神ではなく、人間を造った真の神様は、人を造り替える力を持っておられるのです。
彼らは刑務所で神様の力を体験しました。しかし、神様の力は刑務所だけで体験するものではありません。あなたの生活しているその場で、あなたも、この同じ力を体験することができるのです。天と地をお造りになった神様に、素直にお願いすることです。
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。 聖書
コリント人への手紙第二 5章17節
文・佐々木 正明



