イスラエルとハマスの戦争―平和の君はどこに?
戦いと破壊に対して宣教的観点から祈る
- . イスラエルとハマスの戦争―平和の君はどこに?
- 0.1.1. 戦いと破壊に対して宣教的観点から祈る
- 1. A.平和の君が生まれた地で起こっている戦争の真っただ中でクリスマスを祝う
- 1.1.1. ▶ 祈りのポイント
- 2. B.この戦争の状況のために祈る
- 2.1. -戦争と神に対する幻滅
- 2.1.1. ▶ 祈りのポイント
- 2.2. -イスラエル支持と反パレスチナの祈りをするとは
- 2.3. -イスラエルを祝福すること
- 2.4. -アブラハムと宣教活動
- 2.5. -エルサレムの平和とは
- 3. C.平和の君はどちらの味方か?
- 4. D.平和の君はイスラエルとともに立っておられる
- 4.1. -平和の君はイスラエルとともにおられる
- 4.1.1. ▶ 祈りのポイント
- 5. E.平和の君はガザのパレスチナの人々とともにおられるのか?
- 5.1. -パレスチナとガザと平和の君とはどうつながるのか?
- 5.1.1. ▶ パレスチナの人々のために祈りましょう
- 6. F.戦争のさなかにある世界への平和の君のメッセージ
<元記事:WGAF宣教・祈りのネットワークより>
From:Prayer Network Coordinator <agmisgpn@gmail.com> Sent:Tuesday, December 19, 2023 9:03 AMTo:japanaog@ag-j.or.jpSubject:Israel & Hamas War – Where is the Prince of Peace?
- 戦争と平和。これは決して互いを相いれない相対する現実です。
- 戦争は残酷であり、ただ悲惨の結果をもたらすのみです;そしてその戦いのさなかに「平和」を実現させることは困難です。
- 戦争には「勝者」はいません。ただ「敗者」、罪のないいのちを失うことだけが残ります。
- 最初に戦いの犠牲者がでると、そのニュースはプロパガンダとなっていきます
- 戦争がもたらす喪失と痛みは、だれも推し量ることができません。
- 「戦争に勝つ」と、「平和を勝ち取る」とは別物です。
- 戦争は「だれが正しいか」を示しません。ただ、「だれが生き残ったか」だけです。(作者不詳)
- 「戦争の終結を見るのは死者だけだ」(プラトン)
主は地の果てまでも戦いをやめさせる。弓をへし折り 槍を断ち切り 戦車を火で焼かれる。
(詩篇46:9)
A.平和の君が生まれた地で起こっている戦争の真っただ中でクリスマスを祝う
いま世界で起こっている2つの悲惨な戦争の中で「平和の君」の降誕を祝うことになりました。ウクライナ対ロシア(663日間)イスラエル対ハマス(72日間)。そして後者はキリストが生まれた地です。10月7日に始まってから何百万というクリスチャンが、測り知れない苦しみをもたらしているところのイスラエルとパレスチナのために祈っています。今回のレポートは戦争に関する新たな情報やニュースを知らせるためではありません。この状況を通して神の目的が果たされるようにと私たちが「宣教的観点に立って」祈ることを励ますためです。
キリストが生まれる何世紀も前に、混乱の時代のイスラエルに、神は「平和の君」である御子を通して救いのご計画をあらわされました。―今起こっている戦争のコンテクストと重なります。
ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちのために与えられる。主権はその方にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。
(イザヤ9:6)
BBC放送も「終戦になるまではまだほど遠く、それまでにもっと多くの人が殺されるであろう」というように「平和の君がおられる」のは不可能なのではないかと思えます。
しかしながら、とりなし手にとっては、まだ目にできない事実への渇望と地上の現実を支配していることに対して霊的権威をもって祈ることの動機付けとなります。そして、ヨシャパテのように 「…私たちとしては、どうすればよいのか分かりません。ただ、あなたに目を注ぐのみです」。(歴代誌第二20:12)と祈るのです。
「同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。
(ローマ8:26)
▶ 祈りのポイント
- 主よ、あなたはすべてを治める方であり、国々を支配しておられる方であるということを宣言します。
- いま戦争のさなかにある国々の上に平和の君が支配してくださることを祈ります。
- いま暴虐と殺戮を起こさせているサタンの力は消滅していくことを祈ります。
- いま聖霊様が世界の教会を祈りへと導き、戦争を止めることにリーダーや指導者たちが心向けられるますように。
B.この戦争の状況のために祈る
戦争のために祈るといっても非常に複雑な要因があります。知恵が必要ですし、主の霊的示唆が必要です。このイスラエル-ハマス戦争に、バイアスや先入観を持つことは危険です。また、旧約聖書に照らしてイスラエルの存続と勝利を求めるというのも非常に危険なことです。と同時に隣人であるカナン人を破壊することです。「ペリシテ- パレスチナ」の誤解は、イスラム主義者によって使われ、パレスチニアンが以前から存在していたと主張し、ユダヤ人を『占有者』または『抑圧者』と見なさせるために使われます。
同じように、イスラエルに対して盲目な忠誠心を持つ一部のクリスチャンは、旧約の結果が成されることを祈ります。しかし、新約における祈りの特権は、イスラエルに対抗する国や人々を排除することを正当化するものではありません。
-戦争と神に対する幻滅
サタンは戦争を利用して、神の主権と正義について混乱と幻滅をもたらし、平和の君の実在に疑問を投げかけてきます。世界で起こっている2つの戦争は、戦後世俗化した、いわゆる神なき「ヨーロッパのキリスト教国」と、また神に敵対する世代との戦いです。ウクライナの戦争も、正教国がクリスチャン価値観と倫理に疑問を投げかけている戦いです。二つの世界大戦はヨーロッパのいわゆる「キリスト教国」によって戦われ、戦後のヨーロッパを世俗的で神のないものにし、また、神に対して不満を抱く世代を生み出しました。ウクライナの戦争も同様に、大きな正教会の国々の間で行われ、キリスト教の価値観や倫理について疑問が投げかけています。中東の戦争は、「神の選ばれた民」と見なされるイスラエルに対する「過激なイスラム」のグループによって戦われています。彼らは、7世紀半ばのパレスチナへのイスラム征服を永続的なものと見なしており、現代のイスラエルが存在する必要はないと否定しています。
エルサレム旧市街のアクサ・モスク敷地内で祈るパレスチナ人
それで、ハディース*1のテキストにはユダヤ人を殺すように命じるものが含まれ、ハマス憲法に組み込まれています。「その時は来ないだろう、ムスリムがユダヤ人と戦い、ムスリムがユダヤ人を殺すまで。ユダヤ人が石や木の後ろに隠れ、石や木が言うでしょう、『オー・ムスリム、アッラーのしもべよ、これは私の後ろにユダヤ人がいます、来て彼を殺してください』」そういうわけで、イスラエルは非常に不安定で不確かな状況にあり、18以上のイスラム諸国に囲まれ、ほぼ10億人がイスラエルの排除を毎日祈っています。軍事的には、イスラエルはスンニ派とシーア派のイスラム諸国からのテロリストおよび通常の軍隊に数で劣っています。
つまり、神が預言的に啓示されるご計画のみが国を救うことができるのです。
*1「ハディース」:イスラム法の根拠とされるムハンマドの言行を伝える伝承を収集した書籍
https://www.y-history.net/appendix/wh0504-013_2.html)
イスラエルを取り囲むイスラム諸国
▶ 祈りのポイント
- 父よ、暴虐をもたらすような過激な思考をあなたが消し去ってくださることを祈ります。
- 神の愛とあわれみという真理が広がるように祈ります。
- くらまされている目が開かれ、神のことばの真理が広がりますように
-イスラエル支持と反パレスチナの祈りをするとは
戦争は国々を政治的に分断するだけでなく、キリスト教徒たちの間にもどう祈るかということで分裂をもたらしています。キリスト教徒は自然とイスラエルに愛着を感じており、その忠誠心の程度は、「置き換え神学」を信じているかどうかによります。あるいは、教会がイスラエルに取って代わったとする立場と、「ディスペンセーショナリズム」を信じるかどうかによります。ディスペンセーショナリズムは、携挙の後、神がイスラエルを再び計画の主要な焦点として回復すると教えています。
しかしパウロはエペソ3章でユダヤ人―異邦人の関係と対立を理解するにおいての奥義を語っています。
「この奥義は…福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人も共同の相続人になり、ともに同じからだに連なって、ともに約束にあずかる者になるということです。」
(エペソ3:6)
キリストが中心なのであって、異邦人でもイスラエルでもないのですから、とりなし手はキリストとその宣教に焦点を当てて、また単に戦争の結果だけを求めてではなく祈らねばなりません。だからこそ、祈りのとりなし手は「宣教的視点」をもって、主の教会の主要な使命である「大宣教命令」のためとりなさねばなりません。
-イスラエルを祝福すること
多くのクリスチャンは創世記12:3から絶えずイスラエルの祝福を祈るし、ある者はイスラエルに敵対する存在を敵はのろわれるべしと考えています。しかし、彼らはみことばにあるように祝福は、平和の君であるキリストを通して、アブラハムの子孫を通して「すべての国々」にもたらすものであるということを見落としています。これこそが、私たちがクリスマスで祝う理由です。
「あなたを祝福する者を祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。そして、地の上のすべての民は、あなたによって祝福されるでしょう。」 (これは「キリストは、わたしたちをのろいからあがなって、わたしたちのためにのろいとなった」ためであり、また、「アブラハムに賜わった祝福が異邦人に行きわたるためである」との呼びかけが拡大されたものです。 (ガラテヤ3:13-14))
-アブラハムと宣教活動
パウロもまた、ガラテヤ書3:8において、アブラハムへの呼びかけが『福音的または宣教的な呼びかけ』であると確認しています。 「聖書は、神が異邦人を信仰によって義とされることを予見し、アブラハムに予め福音を告げました。『あなたを通してすべての国々は祝福を受けるでしょう』と」。 したがって、イスラエルに対する祈りは、現在の『地政学的な』現実だけでなく、キリストであるメシアがユダヤ人と異邦人の両方に現れた啓示に基づかなければなりません。
-エルサレムの平和とは
同様に、『エルサレムの平和』(詩篇122:6)の祈りは、彼らを取り巻く他の都市の破壊を前提としていません。バビロン捕囚の際、主はエレミヤに対して、「あなたがたを捕え移した町の平和と繁栄を求めよ」と言われました(エレミヤ書29:7)-抑圧者の首都バビロンの平和にも祈りを捧げるように。現代のエルサレムの人口は約970,000人ですが、1,000,000人以上の人口を持つ都市は650もあり、これらの都市は世界の都市人口43億人の中で、福音を必要とする地域を形成しています。
エルサレムの最大の影響力は、数百万人の観光客や巡礼者を引き寄せる聖地の場所ではなく、むしろエルサレムで磔にされ、復活した「平和の君」のメッセージです。また、ここで教会に「エルサレムから… 地の果てまで」という大宣教命令が授けられました(使徒行伝1:8)。これこそが『聖地』を意味づける『聖霊』の力です。
【キリストの贖いのため】という視点で祈りましょう。そうすれば、現在の軍事および政治的な状況が解決されるでしょう。真の戦いは『魂を贖うための戦い』です。
C.平和の君はどちらの味方か?
「平和の君」という名は「インマヌエル、神はともにおられます」の名でもあります。神がイスラエルの味方なのか、それともパレスチナとハマスの味方なのかという疑問があがります? ヨシュアも同様に尋ねました:「あなたは、われわれと共におられるのですか。それとも敵と共におられるのですか」。彼が言った、「いいえ、わたしは今、主の軍勢の長として来たのだ」と。
執り成し手は一方に立ちません— むしろ、彼らは天の軍団の司令官に合わせ、自分たちの使用可能な天の軍団を招くのです。メディアで氾濫する意見や視点よりも、天の軍団の司令官の声を聞くことが重要です。さて、平和の君が今日どのように両者の側にたっているかをを見てみましょう。
D.平和の君はイスラエルとともに立っておられる
マタイによる福音書はユダヤ人向けに書かれ、クリスマスの物語を「メシア・イエス」の系譜として、ヨセフからアブラハムまで遡って紹介しています(マタイ1:2)。このアブラハムへの関連性がユダヤ人を「地の民」として特別な存在にしています。
しかし、バプテスマのヨハネはユダヤ人に対して警告しました。「『アブラハムを父に持つからと言って心のうちで自分たちに言ってはならない。神はこれらの石からでもアブラハムの子を起すことができる』と言っている。」(ルカ3:8)
また、イエスもユダヤ人に対して警告しました。「もしアブラハムの子であるなら、アブラハムの行いを行いなさい…あなたたちは、自分たちの父である悪魔の欲望を行いたいのだ。彼は初めから人殺しである…」(ヨハネ8:39,44)
神はイスラエルが神の呼びかけと目的を果たしていない場合、彼らが行う全てを容認するわけではありません。ユダヤ人の科学者アルバート・アインシュタインは、「戦争の名のもとでの殺人はただの殺人行為に変わりはないというのが私の確信である」と述べました。
パウロも「ユダヤ人には何のすぐれているところがあるか?」という問いを投げかけました。確かに神のことばを授かりましたが、結論として、「何かすぐれているところがあるのか。全くない!すでにユダヤ人もギリシャ人も、すべての者が罪の権威の下にあるからだ。」(ローマ3:1,9)と述べています。
ですから、祈りましょう。彼らが単にハマスや敵から守られるだけではなく、サタンと罪から救われるように祈りましょう。聖霊様がイスラエルの人々に触れてくださり、罪深さへの深い悔いに導かれ、神の愛と存在への確信をもたらし、平和の君をインマヌエルとして彼らに示されるように求めましょう。
-平和の君はイスラエルとともにおられる
▶ 祈りのポイント
- イスラエルはアブラハムの種でありキリストにある祝福の契約をもっているから
- 歴史的に対面してきた人間にとって悲惨な苦しみ、女性や子どもたちを失い、捕虜となり語り尽くせない悲しみと痛みを経験している
- ハマスの手によって2000人が死にました
- 彼らが立ちうるのは軍や政治的力ではありません。戦争に破壊によっては真の平和は訪れません。
- 彼らには、すべての国民を祝福するという宣教的目的が与えられています。
- 単にこの地の民だからではなく、すべての民に祝福をもたらすためには、”贖われる必要”があります。
- 使徒ペテロがペンテコステの日に宣言したごとく新たな啓示が必要です。
「ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主とも キリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架にかけたのです」。(使徒2:36)」
E.平和の君はガザのパレスチナの人々とともにおられるのか?
異邦人向けに書かれたルカの福音書は、クリスマスの物語を始める際に、マリアからアダムまでキリストの系譜をたどり、アブラハムを越えて(ルカ3:38)、平和の君の神の普遍的な目的を広く示しています。したがって、パレスチナ人とハマスはイスラエルと対立していますが、同時にキリストを通じてアブラハムの祝福の中に含まれています。 彼らは『旧約聖書』のようにペリシテ人やカナン人のように排除されるのではなく、かえって贖われて神の宝となるよう造られている存在なのです。
ペテロは、ユダヤ人に対して、イエスが「建てる者に捨てられた石」となり、「つまずきの石、つまずきの岩」となったと書いています。同時に、異邦人、パレスチナ人を含む彼らは「選ばれた種族、王族の祭司、聖なる国民、神の所有となる民」と呼ばれ、「かつては民ではなかったが、今では神の民である」とも述べています(第一ペテロ1:9)。
-パレスチナとガザと平和の君とはどうつながるのか?
- 平和の君はベツレヘムで生まれました。―ローマの支配地
- 彼の両親は占領者の統治と課税制度によって追い立てられ、不安定な状況に追いやられました。
- 彼の誕生時には、東方の賢者(マギ)が「ユダヤの王」を訪れ、ヘロデの怒りによって外交上の災厄を引き起こし、悲惨な結果が起こりました。
- 幼児が虐殺され、母親が嘆くなかで、平和の君は追い出され、エジプトに逃げました。
- 彼の家族は、現代のガザの「ラファ・ゲート」のような国境の町を通じて難民として死を逃れたかもしれません。これはエジプトとの唯一の国境地帯の通過点です。
- 彼は一時的にホームレスとして「難民キャンプ」に住んでいた可能性があります。彼は他の人たちと同じように教育の機会を奪われたかもしれませんでした。後に人々は「彼はこれらすべてをどこで学んだのか?」といったと言われています。
- 彼は政治的な指導者への恐れから、自分の生まれ故郷であるベツレヘムに戻ることが許されませんでした。彼は「再定住」され、別の場所である「ナザレ」と呼ばれる場所に住まわされました。ナザレはガリラヤの村であり、周囲の丘によって隔てられ、雇用の機会を提供するには小さすぎました。
- ヨセフスによれば、ガリラヤの主要な都市であるセッフォリスは、ナザレから1時間の徒歩圏内で、父親が大工として働けるところでした。ガザの数千人のパレスチナ人が毎日イスラエルで働いたように、ヨセフも占領者のために働きました。
- イエスがおおよそ5歳の頃、ユダの反乱がありました。今日のハマスの反乱のように、イエスはローマの怒りによって完全に破壊されたセッフォリスを目撃したかもしれません。それは今日の北ガザのように地面に平坦にされ、ヨセフの仕事の機会を奪いました。
- セッフォリスの再建は、ローマによって10年後に「ガリラヤの飾り」と呼ばれる素晴らしい都市として行われました。この時期に、平和の君であるイエスは若年期から成人期にかけて、ローマの占領者のために大工や職人として働いたかもしれません。これは、彼のやもめの母と4人の兄弟姉妹を支えるためでした
- 都市のセッフォリスは、彼に一般の人々と自由に交わる機会を提供し、見知らぬ人や追いやられた者に対する彼の寛大さ、また神の前でのすべての人々の平等への確信に寄与したかもしれません。これらの態度は後に彼の公生涯を特徴づけることになりました
- 平和の君は今日もパレスチナ人と共に立っています。彼らが傷つき、負傷し、殺される中で、彼は共感します。彼らがイスラエルの爆撃で亡くなった無辜の子供や女性を失う苦しみを感じ、また人間の盾として利用される状況に苦しむ彼らに同情します
- イエスは病気や苦しむ人々と共感します。病院があふれる中での状況も同様に、イエスは「町ごとに多くの人々が彼のもとに運ばれると、イエスは彼らを憐れみ、民衆の中であらゆる病気とあらゆる病にいやしを施された」と記されているとおりです
- イエスは「人間の盾」として犠牲にされることの意味を理解しています。なぜなら彼自身が最終的には拒絶され、占領者であるローマと共謀して犠牲にされたからです。ヨハネ11:50には、「あなたがたにとっては一人の人が民衆のために死ぬ方が、全国民が滅びるよりもましである」という言葉があります
- 平和の君は「ラマで声が聞かれ、嘆きと大きな悲しみがあり、ラヘルが彼女の子供たちのために泣いている…」だけでなく、ラマラやガザのジャバリヤ難民キャンプで失われた子供たちのために泣く母親たちの声も聞き入れています
- 平和の君は、このクリスマスにおいてパレスチナ人たちの唯一の希望です。「暗闇に住む民は大いなる光を見た。死の陰に住む者たちの上に光が輝いた。」(マタイ4:16)
- 彼はまた、攻撃や裏切りに遭う「パレスチナのクリスチャン」たちとともに立っています。イスラエルからは「アラブのパレスチナ人」と見なされ、極端なムスリムからは「西洋と協力する者」とみなされています。また、Operation Worldによれば、一方で、世界的な教会からは、先イスラム時代にルーツがあるとして、無視されたり見捨てられたりしています。」
▶ パレスチナの人々のために祈りましょう
- 過激なハマスとイスラム原理主義者の悪い影響から解放されるように
- 戦争、砲撃、爆撃の影響から守られるように
- 非常な苦しみの中にいる女性や子供たちのために、また癒しと平和の回復のために
- ユダヤ人に対する憎しみが邪魔をしてキリスト・メシアの福音が妨げられないように
- パレスチナ人の中にいるクリスチャンが戦争の中で守られ、世の光、地の塩となるように
- このクリスマスに平和の君が夢や幻に現れるように
- 家庭、学校、病院や様々な施設が回復し、パレスチナのリーダーがガザ地区、西岸によい統治をもたらすように
F.戦争のさなかにある世界への平和の君のメッセージ
最後に、言い伝えでは「悪い知らせは良い知らせよりも早く広がる」ように、イスラエルとハマスの戦争のニュースは迅速に世界中に広まりました。特に、世界中で約70億の携帯電話ユーザーに、主にソーシャルメディアを通して届いています。しかし、2000年前に与えられた「平和の君」の良い知らせは、まだ世界の多くの国で5000以上の「民族グループ」に属する20億以上の人々に届いていません。このクリスマスは、イスラエルでの戦争のためにベツレヘムやエルサレムの宿には巡礼者や観光客のための「空き部屋」が確実にないでしょう。しかし、クリスチャンたちが教会に集まって平和の君を祝うことができるところでは、店にクリスマスの商品があふれていることでしょう。神はすべての戦争と混乱の中でイスラエルに対する神のご計画を成就する力を持っておられます。この「戦争とクリスマス」という対照的な時期に、教会の宣教的な責任をもって、人々に福音を届ける特別な機会となるよう祈りましょう。
この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民に証され、それから、終わりの日が来ます。
(マタイ24:14)