巻頭言|月刊アッセンブリー2008年2月号

「キリスト者が求めるべきもの」

長谷川 光代 (境港キリスト教会)

「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」 ( マタイ20章26~28節)

「三つ子の魂百までも」という諺がありますが幼い頃に身についた思想・習慣は改めようと思っても難しいものです。
イエスの弟子ヨハネとヤコブの母親たちはイエスにある願い事をしました。それはイエスが王座に着くときに息子たちを高官の座に着かせて欲しいと願い出たのです。
この世は地位、名誉、富、そして支配することを追い求めます。しかしイエスは弟子たちに「あなたがたの間ではそうであってはなりません。上に立つ者は他者に対して仕えていく僕となりなさい。」と言われ、御自身の生涯を通してこのことを実行されました。

「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者となられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」(ピリピ2:6-8)

私たちはヨハネ・ヤコブの母親たちのようにこの世の欲と野心といったものと無縁でしょうか。無縁だと言う人は自分にも欲があるということを自覚していないだけで、人間である以上、この問題と関係がないと言う人はいないでしょう。しかし、キリスト者が求めなければならないものは、イエスのようにへりくだった心で神と隣人に仕えていくことです。
私たちは聖霊に助けられ、祈りの内に、家庭の中で、教会の中で、職場の中で、地域社会の中でキリストの愛とへりくだった心を持って神と人々とに仕えていくことを実践して行きましょう。