巻頭言|月刊アッセンブリー2008年10月号

「賞を受けられるように」

渡辺房子 (札幌東キリスト伝道所)

 暑い夏を更に熱くした北京オリンピックも終了し人々の興奮もおさまったようです。
聖書に使徒パウロの言葉が記されています。「競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい。」と(コリント 九章二四節)更にこの句に続く個所には、パウロは競技者の立場で賞を得るように励まし勧めています。賞を得るためには、

(1) 決勝点を目ざすこと。
(2) 競技者は賞を得るために、あらゆることについて自制すること。
(3) 競技者は規定に従うこと。

パウロは信仰者の歩みを競技にたとえ、賞を得るよう勧めています。信仰の戦いの勝利点(目標)を、愛弟子テモテに語っています。「義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主がそれを私に授けてくださるのです。」と。このことのために信仰者はあらゆることに自制するのです。重量制限の競技者は特につらい面がありますが賞を得るためには励むのです。神を礼拝する民とされた信仰者にも、目の前にあるあらゆる事柄に自制は必要です。(時間、語る言葉、それにともなう行動、持ち物金銭等々)更に規定に従う事。規定とかルールと言われると束縛されるように思いがちですが、規定がなくては審判はできません。私は中学生の時、陸上競技の円盤投げに出場したことがあり>すが、あやうく失格になりそうになりました。それは私がルールを知らずに違反したからでした。

イエス・キリストの十字架の死と復活を信じ、罪から救われた者にはどのような規定があるでしょう。主イエスは「あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです」と申されました。他に礼拝を守り、祈りを怠らず、伝道に励み、教会を支える等々考えられましょう。信仰者として、正しい審判者である主に義の冠を授けていただけるかの日に向かって、勝利者の歩みを更に続けましょう。ただ一生懸命頑張ることも大切ですが、まず神の約束を確信し、信頼するならばもろもろの戦いの勝利者になれるのです。ダニエルは陰謀を知りながら「いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神に祈り感謝していた。」のです。三人の友人たちも「ひれ伏して金の像を拝まない者は、火の燃える炉.中に投げ込め」との命令にも

「私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。」と答え、神に対する全き信頼を告白しています。