巻頭言|月刊アッセンブリー2008年9月号

「キリストの愛に取り囲まれて」

小田島 幹彦 (篠原教会)

 「気が狂っているぞ。パウロ。博学があなたの気を狂わせている」(使徒の働き26:24)と総督フェストに言わせたパウロ。彼は本当に気が狂ったように宣教に命をかけました。何がパウロをそこまで宣教に駆り立てたのでしょうか。それはフェストが考えた博学の故ではありませんでした。

パウロはかつては律法学者で教会の迫害者、キリストの敵対者でした。しかし神の一方的な選びのご計画とあわれみによって復活のキリストに出会い、救われました。そのとき、罪を赦されたと同時に異邦人への宣教の使命を与えられます。彼は誰に対しても自分を罪人のかしらと紹介し、十字架の恵みだけを語り、世界宣教に身をささげました。そのあまりの情熱のゆえに気が変になったのではないかと疑われることもありました。彼に一八〇度の変化をもたらし、宣教に押し出したのはキリストの愛だったのです。パウロは何とかそのキリストの愛と信頼に応えようと宣教のわざに励んだのです。

このキリストの愛は迫害の中でも痛みを覚える問題の中でも、順境のときも逆境のときも、生涯にわたりパウロに注がれ続けました。コリント人への手紙第二の五章十四節で「キリストの愛が私たちを取り囲んでいる。」と証ししていることによっても、パウロの宣教にはキリストの愛がいつも伴っていたことがわかります。

私たちは今年、宣教力UPのために取り組んでいます。牧師や教会に与えられたビジョンや賜物や方策が生かされて宣教することは素晴らしいことです。しかし、もう一度宣教の原点と原動力がどこにあるかをしっかりと見つめて取り組みたいと思います。世の人々は宣教の内容とともに私たち宣教する者の動機や姿勢に敏感です。パウロのような働きはできないかも知れませんが、パウロと同じように私たちが十字架の愛に感動し、その感動を証しすることはできます。どんな困難な中にも主の愛が私たちを取り囲んでいることを覚え、大胆に福音を伝えましょう。