月刊アッセンブリーNews 2012年11月号

祈りを通して働かれる主

趙 善江 (西宮アガペー教会)

『またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。・・・ 』
(ヨハネ14・13、14 15・7、16 16・23、24)

ある賛美の中に、〝祈りは呼吸です〟という一節があります。祈りは霊的息です。人は息を止めると死んでしまいます。ですから、祈りを止めるということは、霊的死を意味すると言っても過言ではないでしょう。

心が病むクリスチャンの方々をカウンセリングする中で、祈りが精神衛生上とても有益であることを教えられました。

『何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。』(ピリピ4・6、7) という御言葉にあるように、あるがままを神様に告白することで、私たちの心の平安が保たれていきます。

祈りを止めてしまうと、自分の思いや考えがどんどん大きくなり、そこにサタンも入り込んで、神の偉大さより問題が大きく見えるようになり、心が縛られてしまいます。

地上の生活には問題が伴います。自分の力で解決できないこと、これを心配し続けると思い煩いになります。しかし、問題を心配せず、神様に向かって具体的に祈るならば、神様も具体的に応えてくださるので、私たちは神に栄光を帰しながら、最善の道へと導かれて行くのです。

問題があることが問題ではなく、祈らないことが問題です。
『100回心配するより、1時間祈りなさい。』 韓国に留学中よく耳にした言葉です。心配は思い煩いを生み出し、祈りは神の御力を期待する感謝を生み出します。

具体的にあるがままを告白し、神の御心を求め、祈りの応えを掴(つか)むまで祈り続けましょう。祈りを通して働かれる主は、今日もあなたの祈りを待っておられます。

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