月刊アッセンブリーNews 2014年9月号

神がおられるからこそ

本堀 秀一 (希望ヶ丘キリスト教会)

「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。」
(哀歌3章22節)

「神様がいるのならなぜ、こんな事があるのですか」。先日3年ぶりに教会にやってきた一人の中学生が、私に投げかけた質問です。しばらく教会から遠ざかっていた間にいろんなことがあったようです。その中で一緒に祈ることができたのは本当に感謝でした。

しかし、このような質問は決して彼だけではありません。私たちも又、何度となく問い続けたことかもしれません。

哀歌は伝統的に預言者エレミヤによると言われています。おそらく彼はバビロンの軍勢によって破壊されて廃墟となったエルサレムの町を見ながら、朝が来るたびに「ああ。今日も生きている。生かされている。」という思いを、ひしひしと感じながら「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。…それは朝ごとに新しい。」と告白したのかもしれません。彼らの神に対する罪を思えば滅びうせて当然であるにも拘(かかわ)らず、今生かされているという感動です。それは神様の恵みとあわれみの故であるという驚きです。それを文字通りエレミヤは肌で感じたのだろうと思います。

「なぜ神様がいるなら…」という疑問の答え、それは神様だけがご存知のことです。しかし私は哀歌を読みながら、この光景と自分自身の姿とを重ね合わせてみました。「果たして、神様がいるなら…というのは、本当にそうなのだろうか。ひょっとしたら神様がいらっしゃるからこそ、今私たちの時代はここで踏みとどまっているのではないだろうか」、そう思うのは考えすぎでしょうか。

エレミヤが呻(うめ)くような思いで綴(つづ)ったこの預言の言葉は、今の私たちにとっても真実です。今の時代は確かに、社会も人も多くの問題を抱えてしまい、それはさながら崩壊してしまった、エルサレムの都を見るような思いかもしれません。しかし、それは絶望ではありません。なぜならイスラエルを回復された神は、そのような世を愛し、救おうと願っておられるからです。そして今日私たちは、神様のあわれみによって、その働きの一端を担わせていただいているのです。

神様がいるならば、ではなく、神様がいるからこそ。そのような思いを持って、日々歩ませていただきたいと思います。