月刊アッセンブリーNews 2016年8月号

平和をつくる者は幸いです

柏崎 久雄 (教団監事 千葉福音キリスト教会)

8月15日は教団では「信教の自由を守る日」であり、一般には終戦記念日です。政府は「戦没者を追悼(ついとう)し平和を祈念する日」としていますが、広島や長崎の原爆が思い出され、世の中ではお盆として死者を弔(とむら)い、他方、甲子園では球児たちが熱き戦いを平和のうちにしています。最も熱い日でもあり、仕事も休みの人が殆(ほとん)どで、里帰りする人もいることでしょう。子供の頃から、そんな日であると思ってきました。

イエス・キリストは「平和の君」と預言されながら、「わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。」(マタイ10:34)と語られています。クリスチャンとして生きていくことは生半可のことではありません。私は洗礼を受けた後、友人知人から非難され、合宿では20人以上に夜中まで批判攻撃されました。神学校に入る時は、親兄弟、友人知人から総攻撃を受け、殺す、絶縁だ、とまで言われました。

その頃、ルターの『キリスト者の自由』に感動しました。ルターは「信仰による救い」を強調した為に命を狙われ城に匿(かくま)われたのでしたが、その不自由さの中で何ものにも拘束されない信仰による自由を確認したのです。私もまた、信仰による愛と喜びと自由と平安を得て、人々の為に祈り、信者時代には50人以上の友人知人を教会に招き、5人がクリスチャンになりました。家族では兄が救われ、私たち夫婦の母もそれぞれ信仰を告白して天に召され、あんなに反対した人たちが、私を頼るようになってきました。不思議なものです。

人が祈念したら、平和が訪れるかというと、それは難しいでしょう。しかし、イエス・キリストを救い主として受け入れた者には、心に愛と喜びと平安が訪れ、たとえ試練があり、迫害されたとしても、揺るがされることがなく、相手の為に祈ることができるのです。私たちにとって、自らの信仰は揺るがされることがないので、「信教の自由を守る」とは、周囲の人々、そして多くの国民が抑圧、攻撃、統制されることなく、このキリストの教えに至る自由を確保するために、私たちが為すべきことなのです。

「今は恵みの時、今は救いの日です。」(IIコリ6:2)このことが守られる為に、私たちは自らを強くし、平和の為の霊の戦いを繰り広げなければならないのです。