月刊アッセンブリーNews 2017年5月号

神の時を知る

平松 慶次 (教職ケア室長 和泉神愛キリスト教会)

~見よ、今は恵みの時、
見よ、今は救いの日である。~
(II コリント6:2)

この御言葉(みことば)は、昔イスラエルの人たちに、神が預言者を通して語られた言葉ですが、今日では、イエス・キリストを通して、すべての人々に語られている神の言葉です。その意味は、「今という時が大切で、神の恵みの時です」「今日という日は神の救いの日となる大事な日である」ことを示しています。

私たちの人生には、過去、現在、未来という区分された時間帯があり、この三つが結び合わさっています。あたりまえのような話しですが、不思議な感覚を持つことがあります。この三つは切り離せない関係にあります。一つ、一つでは存在しないのです。

今日が過ぎると過去になり、明日が来ると今日になる。従って、いつも体験するのは、今日であり、今、なのです。だからといって、現在ばかりに集中して、過去も未来のことも全く考えず、何の関心も持たずに生きることはできません。

むしろ、世の中の多くの人々は、過去に受けた心の傷を背負い続けて苦しみ、又将来には何の希望もなく、不安や恐れを、今日に持ち込んでしまいます。いつも今日の日は、過去と未来に拘束されて、悲しみと失望、恨み、怒り、あるいは、恐れ、不安に身動きが出来なくなることがあるのではないでしょうか。

ドイツの哲学者・ライプニッツは「現在は過去を背負い、未来をはらむ」と言っています。では「今日という日」「現在」をどのように生きればよいのでしょうか?

聖書には、いつも「今の時を恵みの時」「今日の日を救いの日」としてくださる神の愛の言葉が語られています。キリストの十字架の贖(あがな)いにより、私たちの過去のすべての罪が赦(ゆる)され、どのような心の傷も癒(いや)されて、今日の日を感謝し、さらにいつもキリストが共にいてくださる未来に、希望が与えられるのです。そして、このことを日々体験することができます。

更なる恵みは、私たちの限りある時間の中で「今の時」「今日の日」を生きていますが、キリストの救いに与(あずか)ることにより、「今の時」を生きながら神の「永遠の時」を生きるものとされました。なんとすばらしい恵みでしょうか。

「神の時を知る」ことにより、私たちの過去、現在、未来もまた神の大きな御手(みて)に包まれていることを知るでしょう。

「見よ、今は恵みの時、見よ、今は救いの日である。」 この御言葉は、今日も私たちに語られています。