月刊アッセンブリーNews 2017年9月号

石を投げつけられている時に

アレックス・ハンフリーズ (米国宣教師団議長)

「しかし、ダビデは彼の神、主によって奮(ふる)い立った」 Iサムエル30章6節

自分の妻たちが捕らえられ、部下の家族も連れ去られ、敬(うやま)われるべきはずの部下に殺されそうになる。ダビデ王は本当にひどい目に遭(あ)いました(Iサム30:1〜6)。おまけにこの困難は、彼のせいではありませんでした。サウル王がアマレク人を絶滅させるはずだったのに、彼らはまだ生き残っていました。ダビデ王は、他の人の間違った決断のゆえに苦しめられました。

私たちの人生でも同じようなことが起こります。突然、大きな問題に直面し、それが自分の行動から生じたのではない場合も多いのです。親、上司、友だち、子どもたち、などなどの行動によって、私たちは望ましくない境遇(きょうぐう)に置かれます。それは人に嫌がられたり、身体的に苦しめられたり、経済的に悩んだりすることかもしれません。また、まるで敵が私たちに石を投げているかのような攻撃(こうげき)であるかもしれません。

弱い私たちは、よく神に対して、「これは不公平だ」「私はこんな扱いを受けるはずがない」などと叫びたくなります。或(ある)いは「やっぱり私はダメだからこんな不幸を招いたのだろう」「あぁ、聖書をもっと読んでいたら、こんな問題は起こらなかっただろう」などと、自己憐憫(れんびん)の態度をもって呟(つぶや)き始めます。

しかしダビデ王はどう反応したでしょうか。周りの状況いかんに関わらず、すぐに神を求めました。すなわち、自分の神によって自分を力づけました。どんな時でも、私たちはまず神に向き合う必要があります。主を求めて、自分を力づける訓練が必要です。神以外に、最終的に私たちを救い出したり、力を与えたりすることのできる方はいません。

日曜礼拝や牧師の助言などにも頼ることができないことがあります。問題が発生したら、他の人のところに走って、助けを願うことができない場合もたくさんあります。そのような時こそ、ただ祈りと賛美とみ言葉をもって、自分を奮い立たせます。主は臆 病(おくびょう)の霊を与えたのではありません。聖霊によって、力と愛と慎(つつし)みを与えてくださったのです。

私たちは様々な問題に直面します。石を投げつけられる時どうしますか。その時こそ、神によって自分を奮い起こし、聖霊の力を受けて前進する時なのです!