月刊アッセンブリーNews 2018年11月号

主のために力を合わせて働く者

佐々木 健 (釧路神愛キリスト教会)

「奉仕はいろいろありますが、仕える相手は同じ主です。」
I コリント12章5節  

「主のよくしてくださったことを何一つ忘れるな」と、喜びと感謝をもって主に仕える姿は何と美しいことでしょう。しかも、力を合わせて主のために働く者たちの姿は何と麗(うるわ)しいことでしょう。それは主がお喜びになる芳(かぐわ)しい香りであり、主が受け入れてくださる捧(ささ)げ物です。

過ぎ越しの祭りの6日前、イエス様がベタニアの村に来られた際に、マルタ、マリア、ラザロの三姉弟が一つとなって主に仕えておりました(ヨハネ12:1〜11)。

姉のマルタは、自分に与えられた賜物(たまもの)を用いて、真心から給仕しておりました。つぶやくことをせずに、イエスと多くの客人を家に迎えながら、自分の召命に忠実に従ったのです。

妹のマリアは、いつものように主の足元に来て、高価なナルドの香油を注ぎ、自分の髪(かみ)でぬぐいました。なすべき時を御言葉(みことば)に聞き、主の葬(ほうむ)りの備えのために惜しみなく捧げたのです。

ラザロは、イエスと共に食卓に着き、存在を公にしました。大勢の群衆が死人の中から復活したラザロを見るためやって来て、彼になされた主の御業(みわざ)を目にしたのです。

その日、家は香油の香りでいっぱいになり、神の子なるイエス様が栄光をお受けになりました。苦難を通される中でも主を喜び讃(たた)える奉仕は、主の救いの偉大さを際立たせるものとなりました。そして、多くの人が主を信じたのです。

冒頭(ぼうとう)の御言葉の前後には、「さて、賜物はいろいろありますが、与える方は同じ御霊(みたま)です。・・・・・働きはいろいろありますが、同じ神がすべての人の中で、すべての働きをなさいます。」と記されています。

ペンテコステの日以後、終わりの時代に生きる私たちには、御霊の注ぎが与えられています。一人ひとりに御霊の現れが与えられ、主の偉大さを証(あか)しするために用いられるのです。「私の願いは、生きるにしても死ぬにしても、・・・・・私の身によってキリストがあがめられることです。」と、共に主を喜ぼうではありませんか。そして、キリストの香りが充満するために、主のために力を合わせて働きましょう。