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教団ニュース・アッセンブリー 1989年8月1日発行 通巻407号
《福音版・朝ドラ!?信仰生涯の物語》

坂本きみ(八王子基督教会)

『走るべき行程を走り終え』
-坂本キミ師御国へ-

 去る六月二十五日聖日の夕八王子山王病院に入院中の坂本キミ師は癌性胸膜炎ガンのため召天された八十六年と五ヶ月の御生涯であ



 同月二十七日同師の葬儀告別式が八王子キリスト教会に教団伊藤理事長石原総務局長佐藤教区長ら列席のも上原和雄牧師の司式で行われた参列者は百十名で教団の大先輩の葬儀にふさわしく聖臨在に溢れたものであ




 師は一九二八年昭和三年に立川のべレヤ聖書女学院を卒業後大地兼香師は同期長島ツル師も同窓生であられる八王子を中心に甲府および蒲田などで第二次大戦前から熱心な伝道を展開された大戦前に献堂された甲府教会は教団内で現存する最も古い建物の一つである
 師は関東大震災の四年前一九一九年に来日したジシ丨・ウングラ丨宣教師の八王子伝道の初穂として二十才の若き日にイエス・キリストの救いにあずかり救いの井戸の最も深い所から飲んだグラ丨師の著書日本からの手紙の中で云われている七十五才で引退されるまで五十有余年の長きにわた常に大胆にペンテコステの福音を語また救われる前か郷里の八王子市内の街角で連日太鼓をたたいて路傍伝道に立たと云われるだけにその大きな声と熱心な祈りはアセンブリ丨随一とも言てもよいだろう
 終戦後爆撃で焼土と化した八王子でク伝道五年ののち八王子台町に信徒・ングラ丨師らと共に新会堂を建設しの財産が今日の八王子教会のめじろ台シオンチペル建設の土台とな
 一九五四年頃から教会は著しい聖霊のみわざいやしなども起こり以後十年くらいの間に十名ほどの献身者が坂本師のもとから巣立てい和田喜多串田とも子師はともに故人となられたが吉野清一郎師桑原千春栄子師夫妻直井光代師杉浦晴美師丸山光昭師木下重夫敦子師夫妻玉川有美子師らはいずれも八王子教会から伝道者として献身していた先生方である生は身寄りのない天涯孤独な方である多数の霊の子に囲まれていることを常々感謝のきわみと云ておられ
 坂本師は引退後間もなくかねてから秘かに考えておられた老人ホ丨ムサントピアに入居されここで生涯最後の老人へのあかし伝道をと導かれるに至ホ丨ムを大変愛された
 不思議にも引退にあい前後しては少女時代の小児麻棒が再発しサントピアでは車椅子の日々を送られることになるしかし師のにこにこ顔で日の訪問者が逆に励まされて帰るというようなまことに感謝な日々を過ごされ
 晩年の先生は月一回だけ許された外出で八王子教会の礼拝に出席するのを最大の楽しみにしておられたが本年二車椅子での事故があて以来外出不可能となりそれ以来体調が思わしくな四月末に入院となてしま
 先生の生涯はひとことで表わすことは難しいがいつも喜び絶えず祈る生涯であとくに晩年の先生のにこにこ顔はどれほど多くの人を励ましたかわからないまたご自身でも主のあわれみという言葉をよく口にされたまことに恩寵の中を歩まれた御生涯であたと思う
 八王子キリスト教会牧師*現・すわシオンキリスト教会牧師 上原和雄



 聖書のことば
 主の聖徒の死はそのみ前において尊い主よわたしはあなたのしもべあなたのはしための子であなたはわたしのなわめを解かれましたわたしは感謝のいけにえをあなたにささげて主のみ名を呼びます
 詩篇一一六・一五 一七