《福音》恵みのおとずれ 1994年6月号
あざやかな、青柴、淡紅色の楽陽花が、石畳の階段をはさんで、緑の山一面、満開です。
「見事ですねえ。」
つい、近くのおじいさんに声をかけてしまいました。大きくうなずいて、しみじみといわれた、お年寄りのことばが忘れられません。
「毎年、毎年、こんなきれいなものにお目にかかれるなんて、ほんとうに生きていてよかったと思いますよ。」
私は、花につつまれながら、ここ鎌倉のあじさい寺で撮影された「寅次郎・あじさいの恋」を思い出していました。
しかし、よみがえったのは、紫陽花に囲まれた寅さんと女性の再会場面ではなく、御前様を演じた俳優・笠智衆のうしろ姿でした。思わず話しかけてしまった、あの品のいいお年寄りのせいでしょうか。昨年の初夏のことでした。
笠智衆さんが88歳で亡くなられて、もう1年ちょっとになります。松竹大船撮影所の近くに住んでおられました。同じ鎌倉市大船町のわが家からもそんなに遠くありません。
熊本出身の味わい深い語り口。ホッとします。
自伝の表題「あるがままに」のとおり、うらおもてのない無欲で謙虚な人柄でした。
「父ありき」。
10年の下積み生活のあと、小津安二郎監督に抜擢された、初の主演作品でした。昭和17年の作です。当時、私は3歳。
ビデオ化された画面は、ところどころ、雨だれと雑音まじりでしたが、日本の父を自然に演じた名優のうしろ姿が目にしみました。
男手ひとつで息子を育ててきた父親は、苦労した末、「お父さんはできるだけのことはやった」といって、息を引きとります。
誠実に生きぬいた父を心から尊敬する一人息子は、秋田に帰る汽車の中で、しんみりと新妻に、「いいおやじだったよ。」
多くの人が、俳優・笠智衆の中に、あたたかい父親の理想像を見てきたのではないでしょうか。
私は、父としての存在感あふれる懐かしい映画を見ながら、新約聖書ヨハネによる福音書14章9節のイエスのことばを思い起こしていました。
「わたしを見た者は、父(なる神)を見たのである。」
文・渋沢清子