宣教! その喜び
力丸 嗣夫 (北九州シオン教会、下関シオン教会)
「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。」マルコ16:15
出来ることが限られ重苦しい状況の中、聖霊様が私たちの心に語りかけてくださった。〝あなたたちは一人ではない。アガペーの背後にはアッセンブリーの兄姉たちがいて、多くの祈りがあり、支えがあるのだ〞と。聖霊様は私たちが一人ぼっちではな いことを思い起こさせてくださった。礼拝の中〝ここに何人かの大人と子どもたちが集まっているけれど、私たちの後ろにはイエス様がいるし、アッセンブリーの仲間がいるから頑張りましょう〞と何度も繰り返して語った。
50年前、胸膨(ふく)らませて神学校を後にしたものの遣わされて間もなく心を病み、半年もの長きに亘(わた)って、廃人同様の日々を送っていました。けれども、私の魂の奥深くには、イエス様の救いと愛を伝えたい ・・・ との熱い思いが渦巻いていました。
派遣途中で、四国の地に遣わされ、マクレン宣教師と高知県西部の3市10町村を車で視察し、この地域全戸に福音を届けよう ・・・ と決意。丸3年の月日をかけて、全戸訪問伝道を行いました。
恐る恐る訪ねるうちに、主が共に歩いてくださっている事を感じるようになりました。開拓伝道とは言いながら、町の中では、定例の集会以外の働きは殆(ほとん)どないまま、来る日も来る日も歩き続けました。
そんな姿を見た求道者や信徒たちが、一緒についてくるようになりました。毎回どう伝えたらよいのか、なんと語ったら良いのか、社会経験もなく、農業地帯の文化も伝統も知らない私には、全てが未知との遭遇でした。ただ、私の中にあるイエス様の愛と力と平安を、誰かに分けてあげたい……という、熱い思いがあっただけでした。こうして3年間で、30名の方が洗礼を受けて、永遠のいのちをいただいたのです。
こんな遭遇もありました。
- 50歳を超えたろう者で、全身ひどい皮膚病で覆われ、頑丈な牢獄の様な離れに隔離され、生きている男性と対坐(たいざ)した時……。彼の御両親に、神の愛が届けられたのです。
- 一人の女性との出会いで、集落全体の子供のための土曜学校が、開かれました。
- 集落集会で求道していた方が、岩場の釣りで、波にのまれて亡くなられた時、その奥さまや集落の方々の願い出に応えて、キリスト教の葬儀を執り行った事。同席した神主さんが、いたく感動した事。
- 盲聾唖(もうろうあ)の三重苦の50過ぎの男性と対坐し、彼に神の愛を届けられたと確信し、そのお姉さんに福音が届いた恵みの時。
- 一人の結核の末期患者の最期を看取(みと)れなかった事への呵責(かしゃく)に、泣きながら、50㎞も離れた家を訪ねて、お詫わびし、後日に記念会を持った時、大勢の村人たちに福音を語る事が出来た時のこと。
まだまだ多くのエピソードが僅(わず)か3年の間に、生まれたのです。これらの物語は、拙著『歩いて歩いて福音宣教』に記録されています。あなたにもできる伝道。それはただ伝えたいという思いから生まれる、愛の泉なのです。祝福の泉です。やってみませんか。