月刊アッセンブリーNews 第732号 2016/9/1発行より
「贖い主(Goel):ゴエル」 גואֵֹל
川口神召キリスト伝道所(埼玉県)
安田 眞 Makoto Yasuda
今回は、「贖主(あがないぬし)」を取り上げたいと思います。私たちは、「救い主」を「メシヤ」と呼び、それがギリシャ語になって「キリスト」と呼ばれるようになりました。本来、「油を注ぐ」ことを意味しています。最初に油を注いだのは、ヤコブが「ここは神の家にほかならない。ここは天の門だ」と言って石の柱を立て、油を注いだ時です。その後、祭司職に任命するために油を注ぎ、王に任命する時にも油を注いでいます。これらの出来事を通してユダヤ教では、イスラエルを再建し、国を治める特別な者としての「メシヤ」を待ち望むようになったのです。
そのような中で、ユダヤ人に「イエス・キリスト」、即ち「救い主イエス」を語る時に、この「メシヤ」という言葉を使わずに語ることが出来るのが、「贖い主」です。最初は、創世記に一度だけ「贖われた御使い」と記されています。
その後、出エジプト記6章6節では、エジプトからイスラエルの民を救い出すために遣わすモーセに、「伸ばした腕と大いなるさばきとによってあなたがたを贖う」と語っています。
旧約聖書では、200回近く用いられていますが、教会では余り語られていません。「メシヤ」とは少し意味が違い、「代価、犠牲を払って買い戻す」ことを意味しています。パウロは、「ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです。」とロマ書3章24節で語っています。
今日に至るまで、ユダヤ人にとって「救い主・メシヤ」と言う言葉には、特別な意味が含まれています。そこで、私がイスラエルでユダヤ人に証しする時は、「贖い主」を用いてきました。「私を贖ってくださった方は」と語るのです。「贖う」という言葉の意味を理解する者にとっては、説得力のある言葉でした。そして、イザヤ書63章16節では「まことに、あなたは私たちの父です。たとい、アブラハムが私たちを知らず、イスラエルが私たちを認めなくても、【主】よ、あなたは、私たちの父です。あなたの御名は、とこしえから私たちの贖い主です。」と語られているのです。