三浦綾子の作品から学ぶ信仰(1)

愛の証しの文学
 すべては「道ありき」から始まる

月刊アッセンブリーNews 第725号 2016/2/1発行より

 三浦文学の最大の特徴は、三浦綾子自身が通ってきた人生の体験から得た真実に裏打ちされた文学だということです。そしてその最も中心にあるのは、『道ありき』に書かれた、絶望から光へと導かれていった体験、具体的には敗戦後の虚無と絶望と罪責感、そして死の病との闘いから、前川正によって真の愛を教えられキリスト者となり、彼の死後出会った三浦光世に励まされて病癒され、結婚するに至った物語です。

 この物語の核心は、三浦綾子自身が語っているように「私を変えた愛」でした。苦難の中で出会った男性たちの愛、そしてその背後にあった神の愛がどんなものであり、それが彼女をどう救い、生かしたかということでした。

 三浦綾子(生まれた時は堀田綾子)は1922 (大正11)年に旭川市で生まれました。両親と十人兄弟の大家族の中で育ち、17歳になる年に炭鉱町の小学校の教師になりました。彼女は本気で信じて「あなたたちはお国のために、天皇陛下のために命をお捧げするのですよ。それが日本人として最も素晴らしいことなのですよ」と教えました。子供たちは真剣に聞いてくれました。その故に七年の教師生活の後敗戦となり、教科書に墨塗りをしなければならなくなったとき、彼女の心は凍りついたのです。もう生きていけないほどの挫折感、絶望感、罪責感、すべての人間的な価値への不信感、自己価値意識の喪失、それはまさに彼女の命を凍えさ止る〈氷点〉でした。教師を辞め、投げやりになった堀田綾子は二重婚約をし、結納の日に倒れて、当時は死の病だった肺病の宣告を受けました。しかしそのとき、彼女は自身に対して「ザマアミロ」と呟(つぶや)きました。

 『道ありき』の巻頭には「われは道なり、真理なり、命なり」という聖句が書かれています。しかし彼女にはもう進むべき道がなく、信じられる真理もなく、心にも体にも命がなくなりかけていたのです。身体的にも、精神的にも、社会的にも絶望的な状況にありました。更に後には最愛の前川正の死や、自分の病気療養のために父親の借金が増えてゆくという経験もしますが、彼女がこのような様々な苦難を通ったことは幸いでした。なぜなら、三浦綾子はこの体験談に〈道ありき〉すなわち「道はあった」と名づけて、「それでも神は道を備えてくださる」という真理を希望として語る者になったからです。彼女が陥った闇が濃ければ濃いほど、その淵が深ければ深いほど、彼女の言葉はより暗く深い絶望にいる人に届くものになってゆきました。

道なんかない、愛なんかこの世にはないと諦(あきら)めなくていい。私が体験した絶望と苦難を見てください、そして、そこから私を救った愛を知ってください。

 それは私だけの特別な物語じゃない。あなたにも用意されている道があり奇蹟がある。だから自分で自分を投げ出してはいけない。それが三浦綾子文学の根底にある真理からほとばしっているメッセージです。自分に与えられた愛の出会いの体験を証拠として提示して希望を語ること、それが三浦文学の最大の特徴であり、またすべての信仰者に勧められていることではないでしょうか。

《寄稿者》

森下辰衛 Tatsue Morishita

プロフィール
1962年岡山県生。元福岡女学院大学助教授。
全国三浦綾子読書会代表。 http://miura-ayako.com/
三浦綾子記念文学館特別研究員。